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2004/08/27(金)14:51

長嶋という聖域

スポーツネタ(61)

金メダルが期待されていた、日本の野球チームが、銅メダルに終わった。 実力的には、金も採れたかもしれないが、監督不在で、言い換えれば、「戦略なし状態」で、よくここまで、出来たものだと思う。 日本が、金銀のメダルを逃した、オーストラリア戦では、オーストラリアが、日本を徹底して研究した成果と、日本のプロ野球を経験している選手の起用が大きかったように思う。 それに対して、日本は、オーストラリアに関して、研究をどれだけしたのであろうか。既に負けたチームに、二度負けるというのは、オーストラリアに対して、全く持って、無対策だったと物語っているようなものだ。 もちろん、一流の選手揃いなので、それなりに、経験もあるし、それぞれの読みもあると思う。しかし、監督無きチームでは、その経験や知恵をうまく、結集できていなかったのかもしれない。 まあ、アテネの球場で、対キューバ戦を見ていた、同居人曰く、松坂投手の球は速く、さすがのキューバのバッターは、キリキリ舞いしているが、体調が万全でないのも、目に見えていて、みるみる、球威が落ちてきたとのこと。しかも、投げた瞬間に、ボールかストライクか、ストレートか変化球かが解るようになってきたという。 おそらく、ここを、狙われていたのかもしれない。 打ち込まれたとはいえ、松坂投手の強気のピッチングは、見る者に感動を与えるものだったと言う。 そして、キューバには、かなりの変化球投手がいて、打者もそれに慣れているようだ。もし、決勝で、和田投手と当たっても、慣れてくれば打って来たかも知れない。 投手は、まだいい。 野球は、得点を入れないと勝てないスポーツ。日本は、打撃陣は、オーストラリアのピッチャーを研究していたのであろうか。 日本は、一流の選手揃いなので、経験もあるし、それぞれの読みもあると思う。もしかすると、そこに甘えていたのかもしれない。 それが、メダル獲得後の中畑ヘッドコーチのコメントから、感じられたのだ。 確かに、選手をねぎらう言葉のように聞こえたが、裏を返せば、選手に甘えていたのではないか。いや、実は、監督としての役割が出来なかったので、選手を信じることしか出来なかったのかもしれない。 そこには、長嶋監督、長嶋ジャパンという聖域があったために、そこまで、中畑ヘッドコーチが踏み込めなかったのかもしれない。 監督は、戦略を立てるだけでなく、コーチや選手達の経験や知恵をうまく、結集し、それを、うまくシェアするのが、仕事だ。 それが、出来ないチームは、結果が出にくい。 今回は、そのパターンだったのだと思う。 それにしても、各マスコミは、一様に、長嶋ジャパンと最後まで言い続け、監督不在の悪影響について、指摘をしない。 これが、サッカーだと、負けたことについて、責任追及やら、マスコミに叩かれたりする訳だが、全くそういう事がない。 長嶋という聖域を、長嶋本人と関係なしに作ってしまった、張本人の一人だからなのだろう。 最後に、長嶋一茂ネタです。 これら、様々な人が、長嶋という聖域を作ったわけですが、その夢を崩さないために、尽力した人物である。 本人は、いろんな想いもあるのだろうが、それを、割り切り、至子に徹していたように感じた。 もしかすると、実際には、長嶋茂雄氏の言葉は、一般の人が聞くに耐えないものだったのかもしれないが、一茂が通訳し、発していたのではないだろうか。 それは、たくさんの人が持っている、長嶋という聖域を守り、実父の尊厳を守るためだったのかもしれない。 私的には、ここ数年、一茂のポイントが上がっています。 アテネの現地の様子は、こちらのサイトからみれます。 Supporters' Project in ATHENS

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