飯田有抄さんの解説good
先日のN響公演パンフレットの曲目解説が通り一遍なものでなく、興味深い内容でした。 以下、転記させていただきます。 ブラームス『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102』 ヨハネス・ブラームス(1833~1897)は、北ドイツの港町ハンブルクに生まれた作曲家で、J.S.バッハやベートーヴェンが築いたドイツ音楽の伝統を受け継ぐ存在として親しまれています。彼はピアノの名手でした。若い頃からピアノ演奏の才能を発揮し、10歳の頃にはピアニストとしてステージに立ち、20歳のときにはシューマンの前でピアノ演奏をして「天才だ」と認められました。そんな彼が、実はピアノを習うよりも以前に親しんでいたのがヴァイオリンであり、ピアノと同時期にレッスンを受け始めたのがチェロでした。彼の父親はオーケストラのコントラバス奏者で、幼いヨハネスにオーケストラで活躍する楽器の手ほどきをしていたことが知られています。 本日お聴きいただく《ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲》は、大規模なオーケストラ曲としてブラームスが最後に書き残した作品です。彼は生涯に4つの交響曲を作っていますが、続く5番目の交響曲として構想していたものを、ヴァイオリンとチェロという2つの独奏楽器を伴った協奏曲へと方向転換しました。その大きな理由は、親友ヨーゼフ・ヨアヒムとの仲違いにありました。ヨアヒムはブラームスが最も信頼を寄せ、唯一の《ヴァイオリン協奏曲》を捧げたヴァイオリニスト。ですが、ヨアヒムの離婚騒動の際、ブラームスは妻側を擁護する長い手紙を書いてしまい、それが原因で2人は長いこと不仲に陥っていました。ブラームスは、ヨアヒムに相談を持ちかけながら大きな作品を書くことで、徐々に友情を復活させようとしたのです。チェロ独奏に助言を求めた相手は、ヨアヒムの弦楽四重奏団のチェロ奏者ローベルト・ハウスマン。ブラームスは想いを込めて作品を完成させることで、大切な友人を失わずに済んだのです。初演は1887年10月にケルンにおいて、ヨアヒムとハウスマンの独奏、ブラームス自身の指揮するオーケストラで実現しました。 曲は3つの楽章から成り立っています。第1楽章は劇的な総奏のモチーフで開始します。このモチーフに現れるA,E,F(ラ、ミ、ファ)音は、ヨアヒムが掲げていたモットー「自由だが孤独に(Frei aber einsam)」の頭文字を音名とした3つの音を並び替えたもの。チェロとヴァイオリンの独奏は、対話し融合するかのように奏でられ、オーケストラと対峙していきます。ホルンで開始する第2楽章は、のびのびとしたメロディーが続きます。第3楽章は弦楽器の伴奏に支えられ、ソリストたちが民族舞踊風の主題を提示し、オーケストラへと熱狂的に受け継がれます。主題と主題の間に新しい音楽が挿入されて進むロンド形式です。執筆:飯田有抄