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2011/11/27
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二酸化炭素を減らすことは、今のこの文明にはできない。問題の所在を突き止めることを棚にあげて、電力消費だけを抑制することに腐心しているからである。節電で火力発電所の稼働率に影響を与えることは、本来できないことなのだ。周波数を安定した状態で保ち続けていなければならない交流送電では、発電出力を調整することそれ自体が不可能なことなのだ。

 発電機の単位にまで電力消費を減らさないと、消費者の努力は実を結ばない。仮に発電機を止めることができたとしても、燃焼炉では一定の熱が常に維持されているからである。これは蒸気発電方式の宿命なのだ。炉の火を一度でも落としてしまうと、元の状態にまで蒸気圧を高めるには相当の時間を要する。電力需要の増加に即応することができないと、電力の供給が不安定化してサーキットブレーカが作動して、広域停電を引き起こすのだ。

周波数変動と電圧変動が発生していると、安定していた電流は遮断されて消されてしまうのだ。地下資源の燃焼量を減らすと発電機の回転力が影響され、回転速度は低下せざるを得なくなる。回転数の低下という現象は、取りも直さず周波数の低下となって顕在化する。これが周波数変動ということなのだ。乱れた周波数は、発電した電力を価値のないものにしてしまう。電流として使い物にならなくなるからだ。売り物にならない電気は、捨ててしまわなければならない。知の底へと直行させる目的で、送配電系統には必ず接地線が設けられている。これは電流を導くと同時に、遮断した電流を安全に捨てるための措置なのだ。

 二酸化炭素を実際に減らすことができない限り、温室効果は気候の変動をより強め続けるだけなのだ。二酸化炭素の少ない天然ガスへと切り替えたところで、今度は降水量の増加とそれによる海面水位の上昇が加速される。メタンガスには水素原子が含まれている。水素は環境負荷のないきれいな資源だと信じられているのだが、もっと深刻な問題を引き起こしていたのである。水素が燃えたことによって生じたその酸素化合物は、気体の水、つまり水蒸気となることしかできない。この20年ほどで集中豪雨による被害が目立つようになったのは、石油資源からガス資源えの転換がこの時か始まっていたからだ。降水量の増加が生んだ洪水と土砂崩れなどで失われた命の数は、年々増加する一方という傾向を示している。地球のいたるところでガスを燃やす量が、この20年間で急速に増えたからだった。


 温暖化を止めようとしてガスへの切り替えを早めたということが、却ってゲリラ豪雨と洪水を多発させる結果を生みだしたのだ。ガスは世界中でクリーンなエネルギーだと信じられており、地表のいたるところで熱を供給するための貴重な資源だとされている。そのガスへの傾斜が俄かに強まった頃から、世界中で洪水が同時多発するような事態を生み出すようになっていたのだ。その原因がガスの燃焼であることは、中学校程度の化学の知識で理解できたことである。ガスの主成分であるメタンは、炭素原子一個と水素原子四個でできている。

 ひとつの炭素は酸素分子と結合して一個の二酸化炭素CO2をつくり、四つある水素は酸化反応で二つの水分子H2Oを作り出すために使われる。水はそのままでは分解しない。一旦水を合成した水素と酸素とは、化合物として地表に永くとどまる。そのH2Oという分子結合が、とても安定した構造となっているからである。文明がガスを燃やせば燃やすほど、海面水位の上昇は早くなりそして高まる。温暖化の影響で融解した氷河が液体の水を増やすより早く、海面水位の上昇が世界の海で起きていた。

 水素が燃えると水の絶対量は増加し、雲となる上昇過程を経て、やがて雨となって地表へと舞い戻る。二酸化炭素は時間をかければ紫外線で分解するのだが、水は液体、気体、個体の三態を永遠に繰り返しながら分子として存在し続ける。この水の持つ特異性が地球を水の惑星と呼ばせているのだ。地球の軌道が金星のように太陽に近かったのであれば、水は液体の状態を保っていることができなかった。

 反対に遠い軌道を回っていたのであれば、火星のように個体として氷の状態を保っていただろう。地球の質量が水星のようにもっと小さなものであったのなら、気体の水を雲として大気圏の内部に重力で引き留めておくことはできていなかった。地球と同じ条件を満たす精妙な軌道をもつ惑星の存在は、いまだかつて確認されたことが一度もない。生命は水の惑星である地球の類まれな環境に、しっかりと条件づけられているのである。これは奇跡と呼ぶべきほどのことなのだ。 


 エネルギーを物質から取り出している時代がつづいている限り、温暖化と洪水はセットで地表を何度も繰り返し襲うのだ。それを止める方法はない。原子力は論外でありため対策とはならない。ところがそこに磁場を措くことができるなら、そこに起電力を発生させることはできる。つまり、磁石とそれがもつ磁場を変化させてやりさえすれば、電気エネルギーは自在に取り出せるものとなるのだ。電流が先にそこに用意されているのなら、熱エネルギーはいくらでも後で取り出せる。電磁調理器やIH方式などの熱源を、どこにでも設営することが電気でできるようになるからだ。オール電化はこの状態を築くまで、なんの意義もない、単なる二酸化炭素の発生源であり続ける。

 永久磁石がもつ強い磁力は、長期間使い続けても損耗しない。その事実が永久磁石という表現を成り立たせている。永久磁石があるところにはどこであれ、磁場を変化させることによって、起電力を誘導することができるようになっている。起電力があってそこに電流を導くための導線が用意されていれば、負荷を発生させるだけのことで、電流を所与の範囲で制限なく生み出せる。電位差を与えておけば、電流を今日距離輸送することさえできるのだ。既存のインフラが交流高圧送電で、電力の長距離輸送を問題なく行っている事実があるように。

 電流はそれ自体で、磁場変化を保ち続けている存在なのだ。電流が流れているという状態は、そこに起電力がポテンシャルで維持されているということを意味する。この起電力を活用するデバイスが、誘導電源ということになる。永久磁石はそのままでエネルギーの供給源となり得る。それには磁場をできるだけ多く変化させてやればよい。起電力は地場変化の割合に等しい。

 再生可能エネルギーでは出力変動の影響を強く受ける。このため、単独では使い物にならない。地場変化を効率よく与えて再生不要エネルギーへとそれを切り替えるなら、安定した出力を長期間維持することができるようになる。相互間の違いというのは、たったこれだけの違いでしかないのだ。このようにすることで二酸化炭素を「実際に」、「低コストで」削減することができる。

 文明が有害な地下資源を放棄しない限り、地球という惑星が持つ環境条件は生命の存続を許さない。そのひとつは異常気象という気候の変動要因によって、もうひとつは集中豪雨とそれによる洪水の多発によって。これまでの温暖化防止対策の全てが、悉く無効なものとなっていた。大気中の二酸化炭素濃度は着実に増加し続けていることから、文明が講じてきた諸対策から実効を悉く取り去っていた。

 人類はこの現象のもつ意味をよく承知していながら、陥っている状況から抜け出せなくなっている。効果のない対策を連ねていながら、二酸化炭素の増加を訝しむことは一度としてなかったのである。思考力が欠如した文明に、生き残る余地は与えられていないのだ。

 京都議定書には二酸化炭素を削減する能力そのものがない。排出権取引は右のものを左に移すだけのことであるに過ぎない。電力会社に買わせなければ普及しない自然エネルギーには、代替能力そのものが欠けている。天然ガスの燃焼では降水量の増加が起き、地球が持つ水の絶対量を徒に増やすのみ。

 文明は八方塞がりの袋小路へと既に追い詰められている。その事実にさえ気づけない。ここに問題の本質が潜んでいる。交流送電には発電出力を調整することができない、という絶対的な限界をもっている。周波数を恒常的に保っていることができない電源は、何の役にもたたない電流を意味もなく生み出していなければならない。有害でかつ品位の劣る電流などは、直ちに捨て去ってしまわなければ却って危険なものとなる。


 交流送電の仕組みを知れば、地下資源に依存しないエネルギー供給系の構築が可能になる。温暖化が止まらなかったその訳も同時に判る。国の財政収支が劣悪化したその理由も特定できる。地下資源を輸入する必要性は夙に消え、円を売ってドルを買う理由もまたなくなっていた筈だ。国内に流動性の厚みが増すようになれば、それが求心力を発揮するようになる。企業に内部留保を積ませることを急ぐ前に、デフレで資金需要が起きていなかったことの異常さを先に知るべきだ。  

 金利が最低水準にありながら、企業に金融機関からの資本調達を選ばせなかった。金融システム自体に欠陥が存在していなければ、低金利のデフレ環境下で資金需要が起きない筈がない。地球上には無駄なシステムが、あまりにも多くあり過ぎる。意義のある分野に資本を投下することができなければ、経済は失速する。為替市場では道理のない円高の更新が続いており、貿易立国で成り立っている国の市場から、利益が一瞬で消失する変化を繰り返し引き起こしていた。リサーチすれば原因を特定することはできていたのだが、それを実施した形跡は窺えない。

 通貨価値の安定性を保つ位は為替介入以外に打つ手がなく、円高に受動的であり続けていたというのは、当局に問題解決能力がないということを示していたのだ。国民が困窮するようになったのは、指導者たちが表層を一瞥しただけで、現実を理解した積もりになっていたからなのだ。上層部の勝手な思い込みというものが、救われない不幸をこの国へと導いていた。

 問題の所在が明確に掴めていたのであれば、状況は夙に改善されていなければならなかった。知識の量的拡大へとシフトしていった教育は、国を劣化させ国民すべてを不幸の淵へと突き落とそうとするまでになっている。失われた二十年から学ぶべきことは多い。反省することすらまだ為されていない。この不毛な現実をどう見たらよいのだろうか。





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最終更新日  2021/04/13 04:39:19 PM
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