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2014/05/04
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今からちょうど10年前に、従軍慰安婦に関する報道番組を、NHKが下請企業に作らせて放映したことが事件となった。放送の直前に二人の国会議員から横やりが入り、NHKは内容を一部改編して電波にのせた。中立であるべき筈のNHKが、政界からの圧力を受けたことにより、事情を斟酌して内容を改竄させた、ということが問題とされたのがことの発端となっている。事実関係を調べていた朝日新聞が、NHKのとったこの行動を批判し、映像と紙面とを手段として、互いに反論し合うというありがちな経過がその時に残された。

 その年の夏、高校野球が行われていた甲子園球場では、主催者である朝日新聞の社旗が、テレビの放映画面からすべて消えていた、という変化が記録映像として残された。原因となった二人の政治家とは、後に酩酊状態で記者会見し、大臣を辞任した中川昭一のことであり、他の一人が現職の首相である安倍晋三であった。一方は夭折してしまったのだが、他方は再び総理の職に返り咲く、という対照的な経過をその後辿った。

 問題というのは公共放送としてのNHKが、政治家からの圧力を受けて変節し、報道姿勢を維持することができなくなって、放送の一貫性を失っていたという事実にあった。二名の政治家は申し入れを行った事実を認めてはいるのだが、それは放映の後だったという点で一致したものだった。証明するための有力な材料がありながら、その提出を報道機関が実施することができない、ということがふたりの政治家に優越性を与えていた。NHKが放映の前に、内容を自発的に調整していたという経過の事実があり、それを問題として取り上げたのが朝日新聞社だったということなのだ。

 この論争は曖昧であやふやな経過を辿ることとなったのだが、今以て当事者のどちら側からの総括も実施されていないのだ。業務に関する映像内容についての裁判は、最高裁まで争わることとなったのだが、司法判断は立法府の立場を忖度した結審となった。戦後の裁判では、よくみられた特徴的な判例がこうしてまた一つ増やされた。

 当時NHKでは経費の度を超えた乱用が複数同時に発生しており、そのことが受信料の不払いを、国民運動のように燃え広がらせようとしていたのである。そのタイミングでNHKの集金人が自宅へもやってきたのだったが、どういう訳かこちらが何も言わない間に、受信契約を先に解除する手続きをとったのだった。当方としては報道の根幹に関わる問題で支払いを留保していたのだったが、集金人の方は違う理解をしていたようである。その後契約関係が消滅している状態が続いているのだが、先月から契約の復旧を求めるNHK職員の訪問が、月に一度の割合でこれまでに二回続いている。その都度支払い留保の経緯を説明しているのだが、過去の事実を何一つ調査していなかったことから、話は進展しないまま無駄足を踏ませることとなったのだった。

 局内に当時の関係資料が残されていなかったのか、来訪した職員方の怠慢によるものなのかは不明だが、話がどうにもかみ合わない状態へと陥ってしまったのである。臭いものには蓋をするというその本質的な傾向が、受信契約の再締結を未だに直接阻んでいる。本来なら率先して当方から提訴するべきところなのだが、不利益を被った事実がないことから、こちらの側には原告適格が存在しておらず、また受信契約も存在しなくなっていたことなどから、支払いたくても支払えないままずるずると今日へと至ったのである、というのがことの真相だったのだ。

 NHKが受信料不払いを理由に提訴してくださる日の到来を、これからも首を長くして待っていなければならないようだ。公共放送のヘビーユーザーを自認している東宝としては、誠に心苦しい限りなのだがこれもまた仕方のないことのようである。被告となって法廷に立ちたいという思いは、このところ大いに募るようになってきている。

 NHKのもつこの体質が変わらない限り、政治家の意向に反するシビアな報道を、国民一般はおしなべて期待することができない。公共放送として独立不羈の精神を取り戻そうとしない限り、NHKの今後の命運は、これまでと同じように、会長人事の承認権をもつ国会の都合で決まり続けることだろう。その新会長のご発言の意図が、これまでになく極めて分かり易い、という特徴があったことから、国民は、容易に当否の判断を下すことができるようになっていたのである。勿怪の幸いというべきことか。

 国会と公共放送の本質を巡る新たな展開が、これからもまた繰り返し訪れることだろう。楽しみなことではある。権威主義者というものは、自らが権威的立場となったとき、周囲をすべて権威主義者へと変えてしまうようである。健全な批判精神というものは、このようにして失われていくようである。経営姿勢に哲学の裏付けのない、NHKという公的組織にとっていま必要なことは、BBCの爪の垢ということになる話だったようである。

 受信料の不払い運動の広がりの芽を、自らの手で、育て上げようとしているかの如くに見えるのだ。もはや言うべき言葉がない。10年というこの歳月が、問題を韜晦するという結果を生み出していた。

 国会は官界の支援がなければ成り立たず、官界は国会の承認がなければ予算の執行をすることすらもできない。

 この両者の間には紛れもなく共生関係が成り立っており、その事実が財政赤字の累増に拍車をかける顛末を招来させている。国家の借金は、当事者に於いて弁済するのが筋だろう。国民に増税の負担を一方的に押し付けて、債務の軽減を図るというのはもっての外。あまりに無責任な所業と言わざるを得ない。ことほど左様に理非善悪そのものが、彼らの目には見えなくなっているようだ。国の劣化はまことにやむを得ないことだったのだ、としなければなるまい。

 高等教育は学力があっても思考力のない指導者を、これまでに多数生み出していた。画一的な教育は同一性という共通分母の上に、一様な反応を示す指導者と呼ばれる個体群を生み出していた。反応形態が皆同じになるという特性の顕在化という事態は、単一のカリキュラムを土台とする教育の結果以外のなにものでもないのだ。

 教科書検定という特定のバイアスの作用を前提とするこの制度も、認識の同質化を推進するための大きな力になっている。異なった観点を許容することができない教育の在り方は、単一化した平板な認識を積極的に産み落とす。教育による特定の意図を背景とする刷り込みは、ステレオタイプな人間を効率的に再生産するものとなり、意図しない洗脳効果の度重なるその結果として、大勢に靡くというよく知られた国民性を人々に植え付けることに役だっていた。

 この仕組みは反日、という名の偏向教育に特化している、中韓それぞれの政府がやっていることとその本質は内容に於いて変わりがない。大同小異で水準が同じという内容の争いになっているため、どこまでいっても終わりのない報われない経過を辿りつづける。冒頭に記述した公共放送と朝日新聞社とのミクロな争いは、国家間の教育の在り方というマクロな場面に於いても、その本質成分は何ら異なったものではなかったのである。

 認識の健全性を保つにためは、批判精神を失ってはならず、価値基準の指標となるブレを検出するための装置である哲学を、それぞれのやり方で全うするよう努めていかなければならない。政治家が放送の現場に容喙する、などということは本来あってはならないことなのだ。健全な公共放送であったのなら、国民の支持を得るのは容易であった。そうならなっていかない限り受信料の意図的な滞納は、健全化するための運動となって、これからも末長くつづくこととなる。これを古来自業自得の所業と呼ぶのだ。






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最終更新日  2021/03/11 11:46:48 AM
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