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2018/06/24
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 止まらない温暖化を導いたのは、事実誤認に基づいた身勝手な解釈の横行のみならず、沈黙を決め込んでいる世界中の電力業界、及びそこに連なる利益共同体のすべて。交流電流は直流電流とは異なり、一瞬たりとも止まっていることが即ちできない。消費者に電力消費をこぞって減らす目的の、クールビズを実施するよう推奨しておきながら、国はその効果を数字で確かめたことがない。節電が温暖化を防止するために有効となる条件とは、地下資源を燃やす燃焼炉の稼働率が、節電に対応して実際にどれだけ減ったのか、というその事実を数値で確認しておかなければならない、というその点にある。対応関係の存在を証明できない関連付けは、当然のことながら意味が無い。その証拠となる数値データの提供を、すべての公的機関を含む当事者が、事実関係の確認を執行するために、電力会社へと資料の提出を求めたことがない。まことに以てキッカイ至極、実に不可解なことではなかろうか。

 

 原油の輸入量がクールビズを実施した結果として、実際にどう変化したのかという記録を、電力会社はこれまで示したことが一度もない。電力の受益者全体は電力消費を減らせば、燃焼炉で吐き出している二酸化炭素が、応分に減っているとそう思い込んでいる。ところが交流電源のすべては、50ヘルツの地域に於いては、毎分三千回転する円運動量を、24時間三百六十五日、常に安定した状態で、保ちつづけていなければならない。つまり発電所では需要の有無に関わらず、常時一定の蒸気圧を回転タービンに、吹き付けていなければならない。これは、交流電源の宿命なのである。消費者が節電するとしないとに関わらず、直流と交流との間にあるその最も大きな違い、とは周波数の関与の有無なのである。

 

 世界中の知識人たちは交流電流の意味をまったく理解しておらず、節電すれば発電機の回転量を減らす効果が得られる、という勝手な理解を前提にした事実誤認に囚われていて、節電の実施や再生エネルギーへの置き換えが、温暖化防止に有効な措置である、とそのようにこれまですっかり思い込んでいた。ところが京都議定書が定める第一約束期間が終わり、結果をみたところ大気中のCO2濃度は、案に相違して大幅に増えていた、という事実を現認せざるを得なかった。世界中で温暖化防止に精一杯努めてきた、ということが温室効果ガスの濃度を、減らすどころか却って高めさせていた、とする現実を突きつけられる結果となった。国連の環境部会は想定外の現実に直面し、周章狼狽の末バリ協定へと急ぎ乗り換えて、気候変動を抑制する仕組みの強化に取り組んだ。その結果有効な具体策を絞り込めないまま、代替電源の登場を待つという消極的な姿勢となり、そのための経過期間を長くした代わりに、削減する目標率を大幅に引き下げてゼロ%へと改めた。

 

 この経過は現時点ではどうすることもできない、という余りにも粗末な実態を、世界中に一瞬で伝えたのみならず、二酸化炭素を大量に排出する産業の延命を、気候変動枠組み条約の推進母体である国連の環境部会が、自ら認めたというメッセージともなったのである。原油の需要を減らすことができないのなら、利益共同体の収益構造は、最低でも現状の水準を維持できる。原油の消費量が増加していくのであれば、環境問題は年を追うごとにより一層深刻化するが、収益構造は維持できる。

 こうした一連の不純で不毛な思惑が独り歩きをつづけ、ヒト起源のCO2排出量の達成目標を、敢えてゼロパーセントへと設定させた。このようにしてパリ協定がもつべき合理性を、あたかも担保したかのようにみせかけた。太陽光発電の導入量を以て、温室効果ガスの削減量へと置き換えた、アーヘンモデルの採用が誤った共通認識へと発展し、温暖化を止まらないものにしてパリ協定を実現させた。この余りにも愚かに過ぎる劣ったこれまでの経緯こそ、直流と交流との違いを勝手に超越して、電力消費を減らせばその分だけCO2が減る、と自発的に独善的な誤認を抱たその契機となった。

 

 再生エネルギーの導入とCO2削減との間には、どのような相関関係も存在しない。関連付けることそれ自体、思考力の欠如という状態をよく物語っている。直流が回路で成り立っている事実を知りながら、交流も回路を形成していると勝手に思い込んでいた。交流電流は周波数で成り立っているものであることから、一瞬たりとも止まっていることがつまりできない。この事実を知らずにいるということが、気候変動をより募らせる経過を生んだ。排出削減に世界中が取り組んでいながら、結果を見ると減ったどころか大幅に増えていた。この案に相違した下卑た結果こそ、交流と直流とを混同している知識階級すべての欠陥となっている。問題の本質を見失っている以上、有効解は最後まで遠い目標であり続ける。

 高度化を急いだ教育の失敗が、有効需要の喪失を導き、経済を低迷させ続けたことで、貧困の増加とそれによる破壊活動の強化、そして環境の劣化とを同時多発的に急がせた。この愚かなる一連の経過こそ、善と信じて解釈を誤り続けている現代文明が、それと知らずに陥った暗くて深い陥穽なのだ。解釈で成り立っているものの総ては、要するに真実であとはとても言えない。その先例となったのが功罪を相半ばさせている、すべての宗教的進行過程に見ることができる。だが、気候変動には功の部分はまったくなく、罪だけが滓となって沈殿槽の底に取り残される。それだけに事実を未だに誤認し続けている、劣った不正な認識の総体は、より一層その罪を深いものへと位置づけられる。





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最終更新日  2021/02/04 04:51:56 PM
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