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カテゴリ:日中友好と中国人とのお付き合い
周恩来と松崎きみ代選手 今日12月15日 日中国交正常化40周年記念講演会が岡山市日中友好協会主催で実施された。 元卓球世界チャンピオンの松崎きみ代さんの講演と同じく世界チャンピオンになった深津尚子さんを交えた座談会であった。 松崎選手は1959、63年の2回世界チャンピオンになっているが1961年北京大会ではは準決勝でハンガリーの選手に敗れた。 当時はまだ日中は国交がなく対日感情も非常に悪く試合での中国人の審判の判定は常に日本に厳しく観衆は一人として日本選手への拍手はなかった。 しかし松崎選手は終始判定に対する不満の態度を示さず試合が終わる迄笑顔を絶やさなかったそうである。 このさわやかな彼女の態度に感激した周恩来首相は「これこそが私が求める友誼第一」であり中国選手はこれを学ばなければならないと云って彼女に特別表彰を授与した。 同時に彼が大事にしていた新中国設立以前の50年物の茅台酒(老酒)を送った。 以来2人の交友は文化革命の一時期を除き周恩来氏が亡くなる迄続いたそうである。 また深津さんは1965年世界チャンピオンになったがその前年の北京国際大会でも優勝し周恩来総理から七宝焼のカップを授与されている。 このように日中両国の国交がなかった時代に周恩来首相の配慮のもとに将来の国交回復に向かって後世に云われたピンポン外交をしたのである。 中国で古くから言われている「井戸を掘った人」を忘れてはならない。 この2人に限らず当時の両国の卓球選手は正にこの井戸を掘った人々であろう。 以上は講演とそのあとの座談会で彼女たちから聞いたことである。 左 松崎さん 右 後輩の深津さん(共に選手時代の姓 ともに香川県出身) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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