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鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

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2014/02/03
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カテゴリ:中国東北方面旅行

出生地丹東再訪(初の個人旅行)

私は昨年秋以来習得したばかりのインターネットで出生地である旧満州の安東(現丹東市)に一緒に行って貰える人を捜していました。

そして今年の一月地元岡山で二月に丹東へ帰省する岡山大学院の留学生H.X(以降小何と書きます)と知りあう事が出来ました。知人の日中友好協会岡山県支部の澤山氏の紹介でした。更に小何の紹介で大連に一時宅する川崎医療福祉大学のZ.B老師(以降老師と書きます)。(老師とは年齢になく中国語で先生と言う意味です)も御一緒頂くことになりました。

二月の丹東は零下二十度を越える日もある極寒の地なので心臓の悪い私は腰が引けましたが中国語の出来ない身には又とないチャンスなので思い切って連れて行って貰う事にしました。

と言う事で平成十七年二月十九日の朝我々は高速バスで広島空港に向かい中国南方航空機で大連へ飛びました。

当初大連の姜老師宅で一休みさせて貰ってから瀋陽廻りの夜行寝台列車で小何と丹東に向かう予定でしたが出発直前に利用客が少ないので運休になったと連絡が入り吃驚且つ困りましたが小何の弟の大偉から大連発寛甸(小何の生家のある田舎へ行くバスを乗り継ぐ県都)行きのバスがあると知らせて来たので大連に1泊して翌日の早朝のバスで弟が待っている寛甸へ向かいました。(私達は中国の軟臥寝台車=一等寝台車に乗りたかったのですが残念でした) 

小何は老師のお宅へ泊めて貰い私はホテルへ泊ったのですが生まれて初めて一人で中国のホテルに泊る経験をしました。

何しろ言葉が分からないので非常に不安でしたが最小限度の事を紙に書いて貰って必要な時はそれを見せる事にしました。こんな時漢字の国同士は助かります。翌日夜明け前手配して貰っていたタクシーで長距離バスターミナルへ行きましたが小何達が来るまでは心細い事と云ったら。暫く待って彼らと会えた時はほっとしました。

長時間バスに揺られる旅は腰痛が心配でしたが道路が舗装されていたので助かりました。只途中用を足した街道沿いの公衆トイレは例の悪名高きニイハオトイレで外囲いだけの完全オープン型でした。凍っていたので臭いはしませんでしたが滑るで怖かったです。
 
寛甸での昼食で私は狛肉(赤犬)を初めて食べましたが少々脂っぽかったです。

食後寛甸からは迎えに来ていた小何の妹弟と友達も一緒に妹の友達の運転する車に6人(定員オーバー)乗って小何の実家に向かい夕方明るいうちに到着しました。当初は近くの青山溝を案内して貰う予定でしたが帰路道路凍結が心配なので中止しました。実家では初めて日本人が来ると言うので親類の人が大勢待ってい て熱烈歓迎を受けました。

小何の両親を始めみんな素朴で良い人達ばかりでした。その夜は小何のお母さんの心尽くしの夕餉を囲み中国式マージャンを教えて貰って暖かいオンドルで小何の御父さんと弟の三人で雑魚寝をしました。

聞いていた通り風呂は無く戸外のニイハオトイレは母屋から数十メートルも離れていて零下の夜暗い中を行くのは大変な事と心配したが幸い暖かいオンドルと飲んだ導眠剤のお陰で朝まで一眠りでしたがこんな事は珍しい事です。

 ?????°???i‰????????¶‰??j ?k?¬.jpg ‰???????‰????? ?k?¬_edited-1.jpg              雪深い小何の生家付近             小何のご両親と私

さて翌日早朝小何の生家の近くからバスで丹東に向かいましたが途中雪の峠でバスが故障し約一時遅れた為に丹東で待っていて呉れた邵先生達に心配をかけました。

二人は丹東公安局のOBと現役で私の出生地を旧安東時代の住所表記から現在地を特定してくれていて昼食後其処へ連れて行ってくれました。

一緒に来てくれた小何と弟とは昼食を食べた後別れましたが彼等も食べた事がないと言うを一緒に食べてみました。カリッと揚げてあって殆ど味はありませんでした。昨年曲阜で食べたさそりと同様口に入れる勇気さえあれば何でも食べられると云うことでしょう。

それから今回の目的である我が生誕地(元安東県掘割南通)に案内された時は流石に感無量でした。実に60数年ぶりの事でしたから。当然この辺りの様子はすっかり変わっていて当時面影は全くなくなっているそうですがもともと幼かった私は殆ど当時の事は覚えていません。

’O“?‰?“I?¶’n?t???i?O?T.?Q.?Q?P) ?k?¬.jpg                                             60年ぶりに訪れた出生地と思しきあたりだが昔とはすっかり変わっているそうだ

この後北朝鮮との国境の鴨緑江や安東時代三井物産の社宅だった住居を其の儘ロッジ風に利用されてると云う丹東賓館を見て回った後彼等のお宅に招かれてお茶を頂いてから奥様共々朝鮮料理を食べに行ったのですが私がご招待すべきところを逆にご馳走になってしまいました。

なお鴨緑江が凍結していなければ遊覧船で対岸(北朝鮮)近く迄行けるそうです。その夜は邵さん(彼ら二人は奇しくも同姓でした)が格安で予約してくれた丹東唯一の四星ホテルの中聯大酒店に宿泊して翌朝この2人に送って貰ってバスで大連に向かいました。

途中又又雪の為約一時延着して大連駅まで迎えに来てくれていた老師に御心配をかけました。

その夜は老師の御宅でご馳走になり予約してくれていた3ツ星の5・1ホテルに格安で泊まりましたが翌日から三日間は老師宅に泊めて戴きました。

老師の御住まいは中山公園南門前の大連市長も住んでいると云う高級マンションの団地内にあり御家族は日系企業の社長をしている工学博士と下のお嬢さんとご主人の御母さん及びご主人の姉夫婦の六人でした。上のお嬢さんは私と同じ岡山の高校を卒業後現在大阪大学薬学部に在学中だそうです。

大連での初日はご主人のお姉さんの旦那さんが運転する車で日本語が少し話せるご主人の甥のJ.J(本年4月より岡山大大学院に留学予定)の案内で旅順を観光ました。

行き先はお任せでしたが最初は水師営の会見所でしたが驚いたことに入場料が中国人と外国人とはかなり格差があり勿論外国人の方が高いです。

次いで203高地でしたがこの日は曇っていて旅順口はよく見えませんでした。なお東鶏冠山は外国人は入場出来ないとかで行きませんでした。

午後は北京の天安門広場より大きいと云われている星海広場でした。確かにだだっ広かったが観るものは何も無かった。海岸に英国女王が乗ったと言う船が留めてあったが傾いていた。高層のマンションが林立していた。

翌日は私が引き揚げ船に乗船した葫蘆島を訪ねる予定でしたが現在は軍港になっていている為に港への外国人は立ち入り禁止になっていると聞いたので行くのを止めて友人に頼まれていた大連北方の大石橋駅へ写真を撮りに列車で往復7時間かけて一人で行って来ました。

私が中国語が駄目なので老師が心配しましたが思い切って冒険をしてみました。幸い英語のしゃべれ小姐が近くの席にいたので退屈もせず且つ心強い旅行が出来ました。

帰りは又しても降雪で列車が大幅に遅れて改札時間が何度も変わった為恐らく一人だったら乗り損じたかも判りませんでしたが幸い今度も英語がしゃべれる姑娘が居て助かりました。列車が超満員でしたが彼女のボーイフレンドが乗っていて確保していた座席に私を座らせて呉れたので助かりました。

更に自分達が大連の手前で下車する際隣の小姐に何か私を指しながら言っていたのですがあとで分った事では大連駅の改札が混雑するのでリュックに気をつけるよう注意してやって呉れと頼んで呉れていたのでした。私は彼女等と別れる時御礼を渡したかったのですが受け取ってもらえませんでした。二人共大連の演劇学院の学生だと言う事でした。

此処で余話を2つ。大石橋を下車して写真を撮ろうと何枚か撮った所で持って行った撮りっ切りカメラが終わったので新しいのを買おうとカメラ屋を探して電子辞書を使って意思を伝えたが「没有」=無いと云われた。そこでもう1軒行ったら有ったので35元で買ったのですが数回シャッターを切った処で「バシャッ」と音がして何と分解してしまいました。これには吃驚しました。中国の「安かろう悪かろう」は聞いていましたが身を持って体験しました。

もう1つ。カメラも無いしする事も無いので駅の周辺をぶらぶらしてみたものの時間が余ってしょうがないので駅に行ったら1本前に列車があったので来た時に買っていた乗車券を窓口に示して交換を申し出てみましたが「没有」と云って手を振られて相手にして呉れませんでした。

私はつくづく言葉の障壁を感じ諦めて駅の待合室で2時間余り座って待ちました。所が降雪の為に列車が大幅に遅れて更に1時間以上待つはめになったのでした。結局季節柄雪の為利用したバスも列車も全部が遅れました。しかし中国では珍しいことではないようです。

最終日前日の午前中は数年前に亡くなったご主人の御父上のお誕生日の墓参りをすると云うのでご一緒した後は老師に大連市内を案内して頂き丹東に行く前日に大きな衣料センターの様な所で注文していた絹の紺の玉虫のチャイナドレスを受け取りに行ったら出来あがっていなかったので待つ間に序にと薦められて純毛の三つ揃いのスーツをオーダーしました。二着分全部で一千元弱(一万四千円余り)でしたが仕立ても悪くなく良い買い物が出来ました。なおスーツは後日老師に持て帰って貰いました。

かくして此の度は私は何人もの親切な中国人に助けられた生誕地訪問の旅になりました。このような幸運は願ってもなかなか出来無い事でしょう。私は今回の旅行でますます中国が好きになりました。なお今回は行けなかった葫蘆島と引き揚げるときに住んでいた長春にも来るだけ早い機会に行きたいと思っています。

                                                                                    謝謝。 






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Last updated  2014/02/07 03:00:17 PM
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