堀田仁助という人
数年前に広島の廿日市住むある方から「浜村さんは堀田仁助を知っていますか?」との質問が・・誰?その人・・・・全く初めて耳にした名前に当惑しましたそしてそれ以降彼が日本の運命を左右する重要な人物であることを深く知ることとなりました彼は江戸時代の人で廿日市にあった津和野藩の蔵屋敷で生まれ天文学の秀才で幕府に登用され当時まだ蝦夷への航路がない時代東航路の開発を命じられ自ら測量機器などを開発し1799年に航路をつくりあげますちょうどその頃、伊能忠敬は日本地図を作るという名目で地球の大きさを測るため蝦夷の地まで行く必要がありました1800年に彼は堀田仁助が開発した東航路を利用し蝦夷の地に渡り地球の大きさの測定を行いましたその精度は物凄く高く今の技術で測ったものと0.数パーセントの狂いしかない正確なものでしたシーボルトはその地図を海外に持ち出しそれを手にしたペリーは日本を捕鯨の基地とすべく浦賀にやってきました3隻の測量船を使って海岸線の地形を測って伊能忠敬の地図と比べたところ見事に一致したのですその瞬間ペリーは日本人の知力の高さに気付きこの国は侮るなかれ他のアジア諸国とは違い、植民地化にすることは避けた方がいいと思ったに違いありません極端に言えば日本はこの地図により国を守られたそれをできるようにした堀田仁助の存在は非常に大きいと島根の一学者が日本を救ったと思いたい島根を誇りに思う一県民としてこのことを伝えたい廿日市の人がそれを知っていて島根県民が知らないとは・・・・次は小泉八雲の功績が日本を戦後日本を救ったという話を綴りたいと思います