門外漢のねごとたわごとひとりごと

2013/07/29(月)18:01

あの有名な旅行記よりも4世紀も前に…

歴史関連(84)

『入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき)という書物がある。 9世紀の日本人僧侶で、最後の遣唐使における入唐請益僧である円仁のいわば唐での旅行記である。円仁が唐で期せずして遭遇した、武宗による会昌の廃仏 (唐朝の武宗期に行われた廃仏事件。また仏教と共に、長安を中心に盛んであった「唐代三夷教=マニ教・ゾロアスター教・ネストリウス派キリスト教」も排斥された) の状況を記録した同時代史料として注目されるもの。 加えて正史には見られない、9世紀の中国の社会・風習についての記述も多く、晩唐の歴史研究をする上での貴重な史料として高く評価されるもの。 後に円仁は最澄に師事した天台僧で、のちに山門派の祖となる。とありました。その『入唐求法巡礼行記』の所在は長年忘れられていたが、明治に入って写本が東寺で再発見されたのです。この円仁の旅行記が有名になって評価されはじめたのは、1955年当時に駐日大使でもあったあのライシャワーさんが英訳して紹介し、各国語に翻訳されて広く知られる所となったことがその主たる要因とされている。 円仁のこの『入唐求法巡礼行記』は、玄奘(げんじょう)の『大唐西域記』、マルコ・ポーロの『東方見聞録』とともに、世界三大旅行記のひとつとされ、円仁が入唐して帰国するまでの9年半の、唐の国や仏教中心地の様子が鮮明に窺える古代史の第一級資料だとされる。 日本人が書いた最初の旅行記で、しかも玄奘やマルコ・ポーロ が口述して他の者にまとめさせたのに対し、『入唐求法巡礼行記』は円仁が自ら書き残したもの。 マルコポーロはローマ皇帝の命を受けて旅行しましたが、円仁は旅券すら得られない状況下から始まります。   元駐日米大使ライシャワー博士は論文の中で曰く、「マルコポー口の “東方見聞録” よりも歴史的に価値が高い」と評しているのですよ。 何といっても『東方見聞録』よりも4世紀も前にこの旅行記は書かれているのです。 残念ながらこの慈覚大師円仁の『入唐求法巡礼行記』は、一般にはあまり知られてはいませんけれどね。 <唐突に…> このたびアメリカの駐日大使に、あのジョン・F・ケネディの娘のキャロライン・ケネディが任命されたようですね。

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