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カテゴリ:読書
阿川弘之さんの著作 「井上茂美」 を昨日から読み始めた。 2回目か3回目かもしれない。 第二次世界大戦(1941年12月8日~1945年8月15日)までの日本の軍人、特に海軍の軍人で優れた方々の中で、特に米内光政(名前誤記であればごめんなさい)や井上茂美に関してそれぞれ力作を著しておられます。 井上茂美氏は、第二次世界大戦の終戦時に大将で終わられた方だと思いますが、戦勝国による軍事裁判でも裁かれなかった経歴でも理解できるように、どうやら海軍軍人になって以来、英米との戦争に終始反対し続けた方で、しかもその反対の仕方が苛烈を極め、正しいながらも、人間的に理解者が乏しいうらみがあった方であったようです。 しかしながら、外国語を7ヶ国語も話せた事、日本人の最もはなはだしい欠点であった情報収集の軽視に対して、警鐘を鳴らし続けた方であることが、この阿川弘之さんの著書にて紹介されております。 The head is bad について この言葉は、この阿川さんの著書によりますと、 この阿川さんの著作に何故この熟語が紹介されているかと言うと、 余談ながら私も1945年は10歳でしたから、小学校の教室へ靴を脱がない兵隊がつかつかとやってきて、入り口で身をかがめて入ってきた有様を既報の事のように覚えております。 主人公の井上茂美さんのお住まい、横須賀のある小学校を視察した軍人が勧告文を提出した中にこの言葉があって、どの辞書にも載っていないので関係者が困りはて、井上さんの博学と語学達者に救いを求めたら、大笑いされてこれが【便所が汚い】と言う古い熟語である事を教えたと言うことでした。 これまた余談ながら; 私さんだのいのししと米軍の視察の想いでについて; 私は、高知県高岡郡四万十町(現在)の出身で、18歳まで居りましたが、1945年か1946年ごろ米軍などの刀狩りなどを兼ねた視察がくまなく行われました。 ある時、小学校で音楽の授業中、楠正成の鎧を着た絵が描かれた音楽の本を前にして歌の練習中であったのでしょうか(或いは、すでにこの種の歌は禁止されていたかもしれませんが-新しい教科書が無いのでそのまま利用されていたのかもしれませんね)、兎も角、この査察の軍人が英語と思しい言葉で、しかも興奮して?早口でベラベラしゃべったので女の先生が真っ赤になり、両手を左右に振ってこれは教えていないの意味だったのでしょうが・・・我々も手に汗を握る・・・そんな固唾を呑む雰囲気でした。 幸いそれ以上の発展は無く兵士も外へ出て帰って行ったらしい。 余談のついでを言えば、我家もそれまでは床の間に大刀、小刀が飾られておりましたが、慌てた防空壕などへ避難させてそのまま錆付かせてしまったのは、返す返すも残念な事でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月29日 16時06分03秒
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