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三田のいのしし 見て歩き日記

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2010年03月11日
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カテゴリ:観光・旅行

二月の下旬に兵庫県たつの市室津と綾部山の梅林を見てきました。

楽しかった、お土産として室津の養殖牡蠣の殻付きを買って帰り、家でその美味に接して一層楽しかった。

それだけで十分すぎるよ。
と言われそうですが、身から出た病の例えのとおり、いろいろ興味を持ちました。
1. 先ず室津の港では
   1-1   朝鮮通信使の寄港地として、室津に歴史があること。
       その歴史的遺産と資料が大変な代物でありました。
   1-2  固く言えば明治以前の船は、夜間航行が不可能なので、例えば瀬戸内海を
             通る場合、何処とどこに寄航したか。
             勿論室津がその一つであり、例の鞆の浦が有名ですが。
       調べたら岡山県の牛窓も寄港地であるとわかって驚きました。

2. たつの市の綾部山梅林には古墳が沢山あるが、何故この地に多いのか。
   その歴史は、地政学的にこの地が選ばれた理由は?

などが頭に浮かんで、今日まで暇を見つけてはインタ-ネット検索や日本の歴史書と年表などを調べております。

1-2の瀬戸内海の船泊まりとして、山口県の上関、広島県の鞆、岡山県の牛窓、兵庫県の鞆の浦などの名前が資料にありますが、例えば朝鮮通信使は、室町幕府の時代に始まり、江戸時代まで断続的に継続されたらしいが、少なくとも数の上で、一行が500人を数えたらしいので、受け入れる港もただただ歓迎だけでは済まされない深刻さを持っていたと推察されます。
同時に大変栄えたことも事実のようです。

そんな歴史がこの室津にも刻まれている事が船の寄航地の面からだけでも分りました。

フリ-百科事典『ウイキペディアWikipedia』によりますと
1. 西暦1375年(永和元年)に足利義満によって派遣された日本国王使に対して、朝鮮
     から派遣された使節が始まりで、と豊臣秀吉が朝鮮に出兵した事で断交されたが、
     江戸時代に再開したと言うのが大まかな歴史らしい。

2. このWikipediaはなんと16ペ-ジも費やして、その存在の重みみたいな物を伝えよ
     うとしておりました。

3. 例えば、当時の朝鮮から日本を見た時、この島国が朝鮮と同じかそれ以上に平和、
     或いは豊かで文化の発展も驚くべき物があるとはどう国民からはほとんど理解でき
     なかったので、朝鮮通信使が日本国内を500人の大団体で通過する際に、その認
     識を100%変更したとしても、同国内向けの報告では素直にそのように書けない。

4. 500人の団体が日本国内を通過する際、使節の振る舞いが傍若無人的要素もあっ
     たらしいが、それは日本に来るまでの先入観による物であったらしい。

5. 結局、豊臣秀吉が朝鮮出兵を決意した背景にも、同国の日本を見下したような対応
     が影響したのかもしれない。

6.  現在でも、多くの国民同士が一見理解しあえているようであって、公式の場になると
   自国の立場が表へ出て、個人個人の本音が全く別の所にあったとしても、おのずか
      らその対応は激化しやすい傾向にあったらしい。
    このフリ-百科事典ウイキペディア16ペ-ジの一部を見ても驚くほど現代の苦悩が
      この朝鮮通信使の時代と変わっていないと思われて、歴史の厳しさに改めて驚いて
      おります。
7.   たつの市立室津海駅館やたつの市立民族館を拝見して、その遺物を眺めたら胸が
      重たくなりました。

私のひねくれた根性で、こんな事に興味を持つので、旅を純粋に楽しく過ごす事が出来ていないねと指摘されそうですが、この間にもちゃっかりとマンホ-ル蓋の写真も撮影しており、牡蠣の養殖業者の剥き身作業見学とと旅人への焼き牡蠣の試食も確りと食べさせてもらうのどそれ相応に楽しく過ごせました。

なおまた、綾部山梅林の古墳については、沢山あって梅林に中を散策中に接触できますが、地政学的な意味合というか、何故この辺りが昔の豪族にとって住みよかったか・・・などは分りませんでした。
地政学的と言えば、兵庫県芦屋市には50mか100mくらいの丘の上に古墳がありますがここは海岸までの間が狭くて、後ろは護りやすく前は敵に襲い掛かるとか、制圧するのに便利な見晴らし地である事が素人でも分る・・・その程度の事ですがきっとこの綾部山梅林もそんな良さ、暮らしやすさがあったのでしょうね。

 






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最終更新日  2010年03月11日 16時32分50秒
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