2016/03/18(金)05:48
神戸市・南京町の12支とパンダの彫り物をご紹介させてもらいます。
中国の本土も台湾も出かけたことが無いので、この目でその雰囲気をする方法が無い。たまたま横浜・長崎・神戸の中国の街とその建物・獅子の置物などを通じて、少し知っている。神戸・南京町の西の門 西安門
西の出入り口
三ノ宮側から南京町へ観光の場合、ここまではめったに来ないだろうが。
かつて中国は町そのものを長い塀で囲い、その入り口に門を置き、一定の時間が
来ると閉める街づくりだと聞いている。そこには扉があったはずであり写真の 門とはかなり違うと思う。 が、その心を活かして、かつて江戸の街にあったと聞いている木戸の感じで写真 のような門を東、南、西に置き、北には福を願って獅子二体を置いたのかもしれ ない。さて、 南京町には「あずまや」がある。この街の象徴でもあろう。恋人たちや子供たちの記念写真もここで撮られる。そこに十干12支、つまり干支の置物が中国らしい印象で刻まれていた。 子 シ、ね、ねずみ
12支のスタ-トは子(ね)で、中国の方々はどのように受け止めているのだろうか。
丑 チュウ、うし 牛
寅 イン、とら
生きた虎とはイメ-ジが違うので、これが寅かどうか自信はないが。
卯 ボウ、う うさぎ
辰 シン、たつ 龍
巳 シ、み へび
日本語ではヘビと呼ぶが十干十二支の組み合わせの一つ「つちのとみ」は「己巳」で 「キシ」と発音している。この2字を正確に書く、彫り込む、印刷するなどはかなり 難しい。干支の表記でも当事者は気を使うと思う。
午 ゴ、うま
未 ビ、ひつじ
申 シン、さる 今年の干支は「ひのえさる」と読み「丙申」と書くらしい
干支は60で1回転する。300年前は1716年で、紀州の吉宗が宗家を継いで
8代将軍になっているが、江戸時代の人々は享保1丙申の年と記憶していて何年前
だと分かったかもしれない。(いまだと2016 ⇒1716 300年前)
酉 ユウ、とり
戌 いぬ
亥 い いのしし
あずまやの背後、北東の隅に置かれている。 日本やロシアなどは干支の12番目は「ガイ、いのしし」であるが、中国や香港は 「豚」らしい。 南京町は日本、神戸に在るので亥、いのししが彫刻されたのだろう。
これらの彫り物を中国らしいと思い込んでいるのは私の得手勝手かもしれない。兎も角注目できる彫り物だあり、観光客の注目・関心をもっと引いてもよさそうに思っております。あずまやとその敷地と街路の境界線付近に置かれているので、たぶん干支の彫り物だと気が付かないのだろう。今度この南京町へ遊びに行かれたら一度は目を向けてみたらどうだろうか。尚、ここにはパンダらしい彫り物が置かれていると南京町のHPで紹介されている
お断り干支の彫り物は、それぞれが私のイメ-ジと異なる物があり、名付けた物に誤りがあるかもしれません。その場合はお許しください。