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三田のいのしし 見て歩き日記

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2016年11月12日
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テーマ:旅の写真(3471)
カテゴリ:観光・旅行

あくまでも個人的なことですが、昭和33年春に東京へ出てから今日まで58年、それ以来

昭和40年代、50年代、60年代と仕事で関東と関西に移動した経験を持ち,併せて平成の年代
もかなり関東へ出かけました。
振り返って考えてみると、仕事中心とはいえ東京や関東一円の神社、仏閣への参拝・訪問は

限られていたことを今回の3日間の神社仏閣の参拝で思い知らされました。

やはり一番の思い出はここ上野・西郷さんの銅像

2007.04.07 大学の仲間とこの辺を散策していいおもいでになりました。

この上野のお山の下から京成電車が出ていて、お上りさんですから駅員さんにお聞きして早速

柴又駅まで出かけました。

柴又駅前 : 寅さんの像(ブロンズ?)

何の予備知識もなしに来たので,びっくりして撮影。

目指すのは帝釈天とその御朱印であることには変わりはないが、寅さんが住んでいたお店の

モデルというか、ロケで利用されたお店探しにも興味がわいてきた。

行く人、帰る方皆さん自然の流れなので、こちらもその流れに乗って歩いた。

上の写真で帝釈天参道と掲示されているが、間もなくこんな風景だった。

どこかにあの”寅さんの映画”のイメ-ジを思浮かべている。

好天でもあり参道は日影が強くてお店の半分はこんな感じ。

私もこのお店の前を歩いたよ・・・思い出される方も多いことだろう。

確かこの店が映画のロケでしようされののかも? と思って中を覗いたことだった。

まったく馬鹿な話で、仮にそうであっても当時と同じ風景はないわけで、トンマな

話ですが、これも旅のよすが、楽しいひと時でした。

この写真の右方向に帝釈天はあった。

先を急ごう、帝釈天でたくさん写真を撮ることになるだろうから。

いよいよ帝釈天の山門だ

浅草の浅草寺にどこか似ている。

人の賑わい、店の多さ、幾分庶民的で前回紹介した大宮の武蔵一之宮氷川神社の参道風景とは

まったく違った姿だった。

山門の様子を見る。

大きな山門で2階の回廊も見えるが、いわゆる”仁王門”だろう。

一もだとたいがい撮影する阿吽の仁王さん、今回は撮影してない。

帝釈天入り口付近の様子

こうして帝釈天にやっとこれたという思いをこの山門で覚え、境内に入った。


帝釈天・本堂


例によって境内や本堂の屋根にかかる懸魚らしい彫刻の撮影も行ったが、まずは念願の

御朱印の記帳をいただいたので、御朱印の紹介です。

拝殿へ階段を上って上がる方は、そんなに多くはなかったので、割合短い時間で御朱印の記帳

をお願いできた。

ここは目の前でご記入して頂いたので、一層印象深いものとなった。

軒先の彫り物 2つ

その一

唐破風らしい軒先似て見える彫り物

その二

破風に取り付けられている彫り物 懸魚?

寅さんの映画を通じて、この帝釈天のこともごくごくわずかに知っていた。

映画の中で御前様が寅さんを叱る場面があったと記憶しているが、本堂の上からであった。

ここに来てみたら、地面からそんなに高い場所でなかったので、幾分印象が変わったこと
だった。

勿論、元来の念願である参詣に来ておられる方が大半であるとは思いますが、一方で大勢の

方の頭の中には参道に続き、この境内での寅さんの印象を求めて歩き回っていることだろう。


本堂の大屋根

この大屋根の結構に感心しながら帝釈天を後にして、参道を柴又駅に戻った。

懐かしい店の風景

柴又駅の小さな広場にあった、懐かしい味のラーメン屋さん。

私が食べたのは、たしか440円のわかめら-めんだった。

懐かしい昔風の味でうれしくなり、きれいに食べたことだった。

 

一言でいえば、参道に並ぶ食べ物屋さんは選りすぐった味の店でしょうが、このように昔風で

気張らない店もよく知られていると見えて、店の中は立ち席でも、表にはテ-ブルもあった
結構はやっていた。


全てが柴又風にこなれているということだろう。

柴又の帝釈天とは:

   1. 日蓮宗のお寺さん

   2. 正式な名称  経栄山題経寺 1629年 開創

   3. 帝釈天は本来の意味では仏教の守護神である天部を指すが、地元では題経寺の略称として

         用いられることが多い。

   題経寺にて安置されている守護神の中で、帝釈天が何かのきっかけで、強い信仰の対象と

         なり、人気がでて多くに人の口に「柴又の帝釈天」が唱えられるにいたって、題経寺が

         後ろになったということらしい。

   以上、ウイキペディアの引用と私見です。

〇 § Δ

2016.11.12 朝

寅さんのインタビユ-番組に出合った。
      寅さんの映画が生まれたのが庄和41年であったらしい。ちょうど50年目なのでそれを

      記念して放映されたのかもしれない。

      生まれは上野であったらしい。

      熟語を忘れているが、路上で口上を述べながら物を売る商売など様々な苦労・経験をして

      いる時代に、たまたま芝居を手伝うことになり、ついで端役で出ていると引っ込んだ後で

      どっと笑いが聞こえる。

      それがきっかけで役者の道へ入ったそうだ。

  寅さんの映画が人気を得た背景には芝居に入る前の”生きざま”が大きくかかわっていた。

      そんなご本人の述懐であったように思いました。






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最終更新日  2016年11月14日 10時26分38秒
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