三田のいのしし 見て歩き日記

2020/09/16(水)14:38

神戸市のマンホ-ル(蓋)の写真を撮影できました。ちょっとした神戸のご紹介です。

世界のマンホ-ル蓋(31)

はじめに   個人ごとで恐縮ですが、8月上旬に神戸大学附属病院で治療を受けましたので、JR三ノ宮駅    経由で通いました。    そこで早速”地金が出る”?で駅の周囲にあるマンホ-ルが目に入りました。    そこで見たマンホ-ル    2020.07.22撮影              マンホ-ルがある地域の三宮の景色            JR三ノ宮駅の山側出入口から線路沿いに姫路方面の風景       上のマンホ-ル付近の別のマンホ-ル               自転車の影が映っていて、残念ですが。場所によってこのデザインのカラ-マンホ-ル蓋      があると思います。      これもJR三ノ宮駅沿いの1枚      英語版のマンホ-ル蓋 さすが港町神戸!              Welcome  to  Kobe! KOBE OSUI     JR三ノ宮駅の山側から線路沿いに西に歩き、が-ドをくぐり、表側の一部を撮影した。                写真の正面には阪急が写っており、遠くに神戸市役所の高いビルに一部が見えている。         写真の中央に見える道路を通り、港側の通りを歩き回れば、また別のマンホ-ル(蓋)に        出合えたことだろう。        残念ながら、病院通いと言う時間の制約のある行動の為にこの辺で我慢した。  神戸大学附属病院       神戸市中央区楠町7-5-2      この山側にある大きな病院の界隈にも街の歴史があり、様々な排水溝がありそうでしたが      歩き回ることができなかったので、マンホ-ルの観察もできなかった。         JR三ノ宮駅付近の観光      この界隈ではよく知られている生田神社がある。 ウイキペディア引用        ともかく数ありそうな神戸のマンホ-ル蓋のデザイン集めも、制約があり思うにまかせません   でしたが、念のためにこれまでに撮りだめたマンホルデザインの控えを探してみました。    病院に通っている内は、神戸の街のことやマンホ-ルのことも強く興味を持つ気持ちにも  なれませんでしたが、1995年1月阪神淡路大震災後の復興を願う行事の一環として    企画し、実行されたハ-フマラソン(21097m?)に参加して、ポートアイランドの街を   走り回ったことを   思い出しました。    2001.02.11(日)   ユニセフカップ2001 神戸バレンタインラブラン  65才でした   思い出のマンホ-ル蓋          ※ 昭和51年(1976)まで神戸市東灘区で暮らしましたので、1995年1月の阪神淡路大震災           の見舞いで、新幹線の新神戸駅から芦屋まで何回かこの街を歩きました。          そのすざましい光景を今でもはっきりと覚えておりますが、2001年のこのハ-フマラソン          で出合ったこのマンホール(蓋)のデザインは感無量でした。       ※  1995年の震災後、実行された復興事業の記念として 回復、設置が続いている排水溝の          完成記念としてデザインされたものと思われます。 余談ですが:  ① このハ-フマラソンは発足1987年で、今年2020年で34回目が開催されたようですが         上掲のマンホ-ル上を通過した時、皆様はどのような感想をもたれたのかと、         ふと思いました。   ➁ 私はこの2001年3月25日 東京・荒川市民マラソンに参加して、やっと完走したこと          でしたが 、同じ年に神戸のポ-トアイランドで走りながら1,995年の大震災の痛ましさ         と6年後の回復途上にある街を見ながら走った感じ方にはかなり差がありました。   ③ 今回通院した神戸大学附属病院は、神戸市の中では、山側にあります。         三ノ宮などの海際からみて、かなりの傾斜面を山に近づいた位置のあるはずですが、         ともかく、三ノ宮の山側の出口にあるタクシ-乗り場からの通院で、マンホ-ルの         観察も限られた地点のみでした。                 こんなマンホ-ルもありました。 2003年撮影                 〇 § ×

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