カテゴリ:海外ドラマ
先日WOWOWで放送されたクリミナル・マインド/シーズン7第11話『天才vs.天才』にアメリカ推理小説界の重鎮パトリシア・コーンウェルが本人役でゲスト出演していた。出演と言っても冒頭の講義の場面とその後のサイン会が少し描写されているだけだったけど。コーンウェルと言えば「検死官ケイ・スカーペッタシリーズ」。主人公は女性検死官だが、FBIの行動分析官が重要な人物として登場する。クリミナル・マインドとのコラボレーションは不自然ではないが、ドラマの内容とはまったく関係のない設定だったので、おそらく新刊の宣伝だったと思われる(笑)。検死官シリーズを途中までむさぼるように読んでいた私は、動くコーンウェルを見るのが嬉しくて、彼女の登場シーンを何度か巻き戻して観てしまった。単行本の帯や表紙裏に印刷されているポートレート通り、美しく聡明な小説家。
1990年に始まった検死官シリーズはまだ継続していて、今は1年に1作のペースで世に出されている。しかし、近作は読んでいない。途中三年のブランク後に満を持して発表された12作目の『黒蝿』でガッカリしてしまったからだ。処女作『検死官』では、詳細に描写される検視の場面が物語の根幹になっていて、全体的に暗く陰湿ではあるが丁寧な語り口とプロットだった。フォーカスはあくまで事件と犯人へ向けられていた。そこにハマった。後に始まったドラマCSIシリーズを観ては「あ、スカーペッタが使っていた機械だ」「スカーペッタもこうやって検死してるんだな」、クリミナル・マインドを観ては「ギデオンはベントン的な存在?」などと考えるほど頭に残っていた。しかし、人気シリーズの宿命か、作品が進むにつれてスケールが不自然に大きくなり、主要人物の絶対正義的な行動も鼻についてきた。羊たちの沈黙で始まりダイハードへ変貌していったと言えば分かり易いだろうか。そして一番残念だったのは事件よりも人間関係への焦点が増えていったことだった。『黒蝿』を読了した後、このシリーズへ魅了される気持ちは消えてしまった。そのうちCSIを観てもクリミナル・マインドを観ても検死官シリーズのことは思い出さなくなっていき、ついには忘れてしまった。 そして時間は流れ、ある日クリミナル・マインドに出演するコーンウェルを目にして、思い出した。検死官シリーズに夢中になっていたことを。また読みたくなってきた。あの『黒蝿』以後も7作出ている。巷のレビューに溢れる酷評を無視してその7作を思い切って読んでみるか、1作目『検死官』から読み直すか、悩ましいところだが。 一方クリミナル・マインドも悲しいことだがマンネリ気味。マンネリ自体は悪いことではない。同じブロットでも視聴者が飽きないような工夫を凝らしていれば、それは良いマンネリだ。しかし最近のクリミナル・マインドは、情報担当のガルシアの手腕が凄すぎて、何でも検索できてしまい簡単に犯人にたどり着いてしまう。プロファイルを駆使してじわじわ犯人に近付いていくということがなく、悪いマンネリに陥っている。コーンウェルが出演したシーズン7第11話『天才vs.天才』はその悪いマンネリを打破しようとする心意気が感じられて、比較的興味深く観ることができた。 このエピソードで違和感を持ったことがひとつ。冒頭に出てきた天才経営者の青年は、意味深な登場の割には物語に関係なく疑問に思った。どう思い直しても、あれは伏線的な登場の仕方だったのだけど。「天才はリードだけではなく、他にもたくさんいるのだ」ということの象徴だっただけ?誰か教えて。気になる。
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最終更新日
2013年07月02日 00時16分14秒
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