今日は、防災とボランティアの日です。阪神・淡路大震災の日でもあります。1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。マグニチュード7.3で4キロ。神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で初めて震度7の激震を記録しました。地震発生後、1ヶ月後くらいに私は、仕事で被災地の復興支援の仕事を命じられ、合計で1ヶ月間ほど現地で寝泊りしました。テレビの映像で何度も流されましたので覚えの有る人も多いと思いますが、高架の高速道路が崩れ落ちているさまを真近に見た時は本当に衝撃的で、SF映画の1シーンが現実になったかのようなありさまに愕然としました。また、横倒しになるのをかろうじて免れた崩れかけた高架道路の下を、生活のためにどうしても行き来しなければならない場所があって、危険なのは重々承知しながら、急いでくぐっていました。通常であれば当然立ち入り禁止になるような場面ですが、立ち入り禁止にすべき場所が多すぎてどうにもならなかったのです。当時、ようやく都市ガスが復旧し、飲食店や理髪店が営業を再開できるような状況でしたが、水道は場所によっては復旧は遅れていました。電気は仮設だったかもしれませんが、比較的早く復旧し、被災地での最低限のライフラインを担っていました。食べ物や飲み物は善意で送られたカップ麺やペットボトル飲料がけっこう豊富にあり、贅沢を言わなければ飲み食いに不自由することはありませんでしたが、入浴などはさすがにままならず、家を失い、1ヶ月以上もそんな生活を続けていた被災者の人たちは本当に大変だったと実感しました。
日本列島は、4つの地殻プレートの上に乗っているちっぽけな岩の塊のようなものです。4つのプレートが押し合いへし合いするので、どうしても地震は起きます。もうすぐ起きると何年も言われ続けている東海地震もたぶん起きるのでしょう。ただ、いつ起きるのかというと、明日かも知れないし、1000年後かもしれません。直径12,800kmの地球は、昔に比べれば、人間にとってずいぶん小さくなりました。地球の裏側へ旅することも、飛行機を使えば普通にできてしまいます。それでも、地球内部にいまもって貯えられている膨大なエネルギーの前に、人はなす術がありません。でも、きっといつかは、災害の被害を未然に回避できる知恵や、不毛な争い事をやめ、地球に暮らす人全てが協力できる冷静さを手に入れ、災害で命を落とす人がいなくなる世界が来ると信じたいです。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年01月17日 19時15分05秒
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る