カテゴリ:カテゴリ未分類
先日、元中曽根首相が言っていた。
昔の国民は粘土だった。個々が有機的につながり固まっていた。 今は砂だ。 お互いのつながりが全く無くなった。 こんなときにポピュリズムに陥る。 誰しもカリスマ的なヒーローを求め、それで初めて国民の統一感が持てる。 テレビに代表される小泉首相がまさにそれだ。 独裁者が生まれやすい風潮になっている。 こんな内容だった。 確かに昔の紅白歌合戦などは誰もがテレビの前に釘付けになり、年末は楽しみにしていたが、今は単に年末のNHKの行事になっている。 趣味の多様化、コミュニケーションの多様化で別に紅白歌合戦などどうでもいい話題だ。 しかし、国民が粘土のようにつながっている時代の方がいいというのは懐古趣味ではないだろうか? 粘土の時代に日本は戦争に突入したのではなかったのか? むしろ粘土の時代にポピュリズムがあったのではないのか? 私も昔は良かったと思っている。石原裕次郎の映画を見て、力道山を応援して、猪木とアリの戦いに目が釘付けになった。江川問題の時は毎日スポーツ紙を買った。誰も同じような行動をとっていた。誰もがブルーシャトーを歌っていた。 しかし、息子の携帯を見て本当に驚いた。 今の時代は「砂」ではない。 むしろコミュニケーションは強化されている。 もしこれを読んでいる若者がいたら「当たり前ジャン」というかもしれない。 でもこの日記の作者のおじさんはびっくりしたのだ。 異性のメル友も10人以上いる。 友人とは会話のようにメール交換している。 携帯の掲示板サイトを共有して仲間の意見交換をしている。 こんなのはもう当たり前らしい。 おじさんは何しろ携帯のメールは数回試しただけだ。 今の若者は知らない間にすごい文化を創っているようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|