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テーマ:暮らしを楽しむ(383684)
カテゴリ:家族と
俺にとってKagoshimaはいつも泣いてた
ひ弱で不親切で邪険な街だった 親父とお袋は泥にまみれ銭をうらやみ そのド真中で俺は打ち震えていた ごうごうと不安が立ち昇る棲み家を 凍える風が暮らしをすりぬけていった 雨どいを伝う雫を見るのがたまらなく嫌だった 逃げ出したくて想いをかきむしるだけだった 俺の人生はどこから始まり いったいどこで終わってしまうんだろう 突き動かされるあの時のまま そう"いつかの少年"みたいに (長渕剛詞) 「雨どいを伝う雫を見るのがたまらなく嫌だった 逃げ出したくて想いをかきむしるだけだった」 が辛い時、何故かいつも口ずさむ、そして落ち着かせてくれる。 思春期のあの頃、親の言葉も、先生の言葉も全然耳に入らなかった。 長渕剛と小林真三の声しか聴こえていませんでした。 鹿児島は私にとって第二の故郷です。 長渕剛さん抜きで学生の時野宿旅行、卒論車椅子旅行、卒業野宿旅行で3回、長渕剛さん抜きで社員旅行、長渕剛さん抜きでそして新婚旅行。 新婚旅行でとても暖かい歓迎を頂き、鰹も美味しく、 リタイア後は嫁には言っていませんが、 あの土手っ腹に移住したいと思っています。 帰省中の楽しみは、童たちとの入浴。 いつもより広い風呂で 初めていつかの少年を全力で歌うと 「何それ?」といつも歌わない私にビックリしていました。 「お金が増える物を買えよ」と熱弁したら「わかったー」 解っとる? …あっ、今は長渕剛さん以外の声も ちゃんと聴こえます! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.11 21:42:24
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