石川誠壱の「こちら熟女捜索隊」

2007/10/05(金)10:33

2007.10.05/イグアナ晃子

mixiアーカイヴ(147)

「この歳で残っているのはオレとタケちゃんくらい」 「オレはお笑い界の重石になる」 「若い芽を摘む」 …と言いながら、なぜタモリは、すぐにイグアナをやらなかったのか。 あれは、 「やれと言われながら、なかなかやらない(でも結局やる)」 という繰り返しギャグでは、なかったんですね。 タモリは二十数年前に、 いっぺん「イグアナ」を封印しているんですよ。 「もう絶対にやらない」という宣言を出していた。 1979年か、80年ごろ。 『今夜は最高!』よりも前。 『お笑いスタ誕』よりも前。 タモリといえばイグアナ、 タモリといえばイグアナ…という時期が あまりにも続きすぎて、 もうイグアナを求められても一生やらない、 やらないから求めるな、と言い切っていたことがあった。 レオ・レオーニのパーティーでもやらなかった。 (『愛の傾向と対策』参照)  レオ・レオーニ:著/宮本淳:訳『平行植物』ちくま文庫 それを知っていて、知って知って知り抜いていたからこそ、 『ジャズ大名セッション/ザ・ウチアゲ』で 客席からタモリに「懐かしのイグアナ!」と声をかけたオレは、 いくら何でも無茶ブリが早すぎた。 1981年ですから、 まだ封印宣言から2年ぐらいしか経っていない。 ※それは、筒井康隆がカボチャを嫌いで、  「絶対に食わない。食えば腰を抜かす」と言っているのを  知っていて、知って知って知り抜いていたからこそ、  差し入れに巨大なカボチャを持ってきていた女の子がいたのを見て、  (開演前に、舞台へ近づいて行って、   袖に座っていた警護の平岡正明に渡していた)  思わず「じゃあオレも!」と対抗してやったことなんですけどね。 「(でも結局やる)」という繰り返しギャグにまで持っていくには、 やっぱり、30年とは言わないけど、 27~28年の歳月を必要としたのだろうな。

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