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天つ日の恵み積みおく無尽蔵
鍬で掘り出せ、鎌で刈り取れ (二宮尊徳・道歌) (天地の恵みはすでに無尽蔵であるが、人間がそれを掘り出してはじめて享受できる。) 尊徳は、倹約・勤労をすすめたことで有名ですが、それは、自力で勝ち取る、奪い取ることを意味していないようです。 すでに、天地自然の恩徳は限りなく、 すでに、人々の恩徳も限りなく、 すでに、無限の恩徳に囲まれています。 これら無限の恩徳に報いていくことを、報徳と言っています。 『天地人、三才の徳に報いる』 悟りの山を降りる 『仏教が悟りを尊ぶのは、まだ迷界から抜け出ていないものだ。 すでに悟ってしまえば、何もそれを尊ぶに足らない。 これを高い山に登るに例えれば、その高さを仰ぐうちは、まだ絶頂に達していないのだ。 どうようにその悟りを尊ぶうちは、まだ極致に達していないのだ。 すでに絶頂に達したならば、四方を眺めてから下山するように、すでに悟りの極致に達したならば、ふたたび迷界に入って、済度につとめる他ない。 もしも、もっぱら悟りを尊ぶだけで済度につとめないならば、迷っているものと同じである。 たとい、数万巻の経典を読んでも、衆生済度の功がないなら、ちょうどへちまのつるばかり延びて実が結ばないのと同じようなものだ。 』 (語録) 天道の中に人道を立てる 『何かの目的のため、何かを期待して、何かを行うにあらず。 すでに無尽蔵に在る恩徳への、 無心の報徳、それ自体が目的なのである。』 以上 『報徳に生きた人、二宮尊徳』ABC出版 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.18 07:41:11
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