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本日のお客さんから、
10年以上前にしたという、 臨死体験の話を聴きました。 病院から退院して、日常生活にもどると、 会社内の地位、 お金、 財産、 親類とのゴタゴタ事 などへの執着が、まったく無くなったそうです。 反面、むしろ一つ一つの存在への愛しさ、関心が増すという体験をしてきたそうです。 モノに対して執着が無くなったのに、むしろ、一つ一つのモノが大切に、大切に見えて、迫ってくるようだったそうです。 ローン支払い中のマイホームが有ることが感謝で、夜、布団の中で、涙が出てきたそうです。 しかし、執着はなく、ローンの事は気にならなくなり、家を失う心配も一切しなくなったと言うのです。 父親の遺産の事で、親類縁者との間のもめ事も、みずから相続を放棄したそうです。 家族で外食に行っても、テーブルに並べられたスプーンや箸を見て、感激して泣き出してしまったこともあるそうです。 執着がなくなるというのは、関心・興味が薄れるどころか、 その対象が、愛しくて、愛しくて、一体化さえしている状態なのですね。(そして、つかんでいない。) ある日、道路脇で、車にひかれたネコの死骸を、無意識のうちに、抱き上げてしまい、気がついたら、通行人にジロジロ見られていた、ということもあったそうです。 死への恐怖・執着は無くなるけれど、 むしろ、一つ一つの命への限りない慈しみに満たされている、そんな状態なのでしょう… 貴重な話が聴けて、ステキな1日でした。 この2~3日のバガバンのメッセージが似たようなメッセージだったので、シンクロナイズにも、ビックリ。 解脱するとは、肉をもったまま、神であることを知ることだ。 この世を楽しみきったら、この世が幻だとわかる。まだ楽しみきっていないなら、分からないのだから、分からないことを楽しめばいいのだ。 ガユーナ・セアロ 無関心と無執着は、ちがいます。 理解しないで、体験しなさい。 カルキ・バガバン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.14 07:44:25
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