Happybirthday!より愛を込めて

2004/12/04(土)15:21

高校野球。感動!!右半身不自由な~

おしごと学校行っちゃう?(786)

朝日新聞茨城のページより紹介させて下さい。 私の前任校の話です。 (ノーマライゼーションの考え方に外れてしまう感動だったらごめんなさい)       右半身不自由なK高校2年、N君。  ”1回裏、K高校は1つもアウトをとれないままR高校の8番打者を迎えた。すでに6点差。二塁手のN君(二年)は、打者が初球をバントしたのを見て、1塁に走った。S投手からのボールをがっちりつかむ。ようやくアウトだった。  1回表の初打席。肝臓病などの後遺症で右半身が不自由なN君は、左手だけでバットを持つ。ゴロを打てば何かが起きる。信じて待った5球めの直球を思いっきり振った。バットは空を切ったが打席に立てて嬉しかった。略、、、。  K高校は5月まで部員が5人だった。守備練習もろくに出来ない冬を乗り越えた。唯一の3年生O主将が同級生に声をかけ17人になった。試合には全員が出場した。2回で交代したNクンも3塁コーチャーとして精一杯声を出した。ベンチからも大声が飛んだ。野球ができる喜びを部員全員が感じていた。『辛抱して努力すれば仲間がたすけてくれる。』実感を込めてO君は言う。秋からは部員が4人になる。『もう一度ここに戻って来たい、9人で9回まで野球をしたい。』Nクンにもう一つ大きな目標ができた。  結果は、5回コールド。31点 朝日新聞より。  結果じゃない。 私は、これを読んで涙が出ました。N君は、もちろん。この状況で頑張った野球部全員に対してです。はっきり言って、大変な学校です。でも、これを読んだだけで、先生方の声援。生徒の応援のパワーがはっきり伝わってくるのです。かつては、私も吹奏楽部を指導していたので、野球のルールがわからないまま、応援に携わっていました。懐かしく思います。 N君の話です。彼は、推薦合格が決まった時、N君はお父さんと野球部の練習に訪れたそうです。”野球をやりたい。足手纏いになるでしょうか?” 当時の顧問のI先生が”全く問題ないッスよ”と快く彼を迎え入れたそうです。単に、部員の数をそろえるためだけじゃないですよ。I先生はとても、キャパの広い先生です。即彼を受け入れた彼の気持がよくわかります。さっそく、ボールを投げて練習が始まったそうです。 この学校は、中学の時 先生や、友達に相手にされなかったり、登校拒否経験を持っている子供達が多いのです。そんな子たちが、高校に入って生き生きと生徒会をやっていたり、部活で頑張っていたりしています。当然、”教育”になじめなく辞めていく子も少なくありません。おおばかをやって迷惑をかける生徒もいます。でも先生方がとってもあたたかいのです。厳しさもはんぱじゃありません。以前も書きました。合格したけど制服が買えないらしい。それで教頭先生が、誰か卒業生のもらえないか?と声をかけていました。 不器用だけど、私は、一生懸命やっている生徒の顔を好きでした。ぎりぎりの状況で、戦っている子供達です。(先生がたは半端じゃなく大変です。そこらへんは、どこの状況も同じです)ただ、見捨てない素晴らしさを持っている先生方達です。失礼な言い方ですが、いわゆる無難な高校で勤務していらっしゃる方にはわかってもらえないと思います。 教育困難校と呼ばれる学校を経験して始めて、教員が生きた教育が学ぶ事ができると感じました。ばからしいと思われる御立派な先生方もいらっしゃると思いますが、(世間一般的に絶対転勤したくない学校のひとつですから)私自身、とってもこのすばらしいK高校で、多くの事を生徒をとうして学びました。この学校が好きだと言うと。。。。ほんとうか?といわれるほど世間の目はシビアです。 、、、、、。もどりたいよん。。。。。   野球にはまじ音痴な私も今日のこの記事に感動しましたとさ、、、、。

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