くそジジイ!! 12回
奥さんが「あら! 早いのね もう起きたの? うちは店は10時からだから 朝はゆっくりでもいいのよ!」お店の前を掃除してくれてありがとうと言われた。くそジジイとしては奉公人の務めと思っていただけに、奥さんの言葉に面食らった。「筆屋」のときは、新米の丁稚は朝の5時前に置き、薪割りをし、かまどの火を鋳こす。井戸水を汲んで、釜2杯のお湯を沸かすのが、朝の仕事だった。それから奉公人の便所掃除、作業場の掃除と朝御飯の頃には腹が空いて大変だった。ここでは、ガスでお湯もご飯も炊く。青い火が勢いよく出て、あっという間にお湯を沸かしてしまう。ただ、ガスの火をマッチでつけるのが恐ろしかった。「ボッオ!」と、大きな音がする。奥さんは慣れた手つきでガスの火をつけたり消したりしている。仕事場の床掃除を頼まれ、一生懸命ハタキをかけ、座敷箒で掃き、雑巾で丁寧に拭き掃除した。 掃除が終わった頃、主人が起きてきた。「ほぉー もう掃除も終わっているのか。」と指で棚を一撫でした。内心ビクビクしたが、主人は満足そうな顔で「よし! よし!」と、くそジジイに「顔を洗ったら朝飯にしよう」笑顔を向けた。今まで人に朝から褒められたことがなかった。嬉しかった。おかんの作る朝飯は麦飯に漬物、大根の味噌汁ぐらいで、筆屋でも朝からメザシなどの干物は古い奉公人にしか出なかった。ここの店では朝から炊き立ての白いごはん、味噌汁・メザシ・漬物そして初めて食べる納豆が出た。店の主人が「納豆は食べたことがないか」と聞く。「納豆みたいな甘いものをご飯のおかずに食べるんですか?」と返事をすると、夫婦してくすくす笑い出した。「納豆と言っても甘くないのよ。 奈良では食べないの? じゃ 食べ方を教えてあげる」と奥さんが、糸の引いた豆を箸で一生懸命まぜ、ネバネバの白い糸が引くまでまぜ、醤油とカラシを入れた。「初めてだったら食べにくいかもしれないから、玉子の黄身を入れてあげよう」と、生卵を持ってきてくれた。贅沢にも黄身だけを納豆に入れ、「さぁ お食べ 美味しいわよ」という。恐るおそる口に持っていくと、なにか臭い。しかし、主人夫婦がじっーと口に運ぶのを見ている。意を決して主人たちのようにご飯の上にかけ、目をつぶって食べた。「旨い! 美味しーい!」ネバネバしているが、豆のふくよかな味と、玉子の黄身のまったり感が堪らなかった。あっという間に一膳平らげてしまった。「まぁ 美味しそうに食べてくれて、こっちまで気持ちがいいわ」と、お代わりしなさいとお盆を出してくれた。『朝からこんな旨い飯が食えるなんて、なんて贅沢だ! 東京に来て良かった。』と、東京までの汽車の旅の苦労を思い出した途端、涙がポロリとでた。主人夫婦は慌てて、カラシが辛かったのかと心配そうに聞いてくれた。くそジジイは胸が詰まった。自分の体を案じてもらったことはなかった。沢山の兄弟がいたので自分一人いなくても気づかれたこともなかった。ましてや『しんどい』なんて言おうものなら、畑がイヤで言っていると思われた。風邪を引いていても「寝たらようなる」と、ほったらかしにされていた。一生懸命仕事を覚えて,早く一人前になりたいと思った。