カテゴリ:ダソクダブン
感覚っていうより認識だな、うん。
認識で行こう。 【共通認識】というものは過去の蓄積により生まれたものであり、未来への指針は【常識】という言葉で示されることになる。 【共通認識】は、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚と同じように「感じる」けど「なぜそうなのか」は、うまく説明出来ない。【常識】は、イデオロギー・プロパガンダ・教育などの「言葉」によって説明が可能だ。 【共通認識】が、集団を纏め上げるのに充分でなければ、【常識】によってその不足を補填しなくてはならない。逆に言えば、【共通認識】が充分足りていれば、あえて【常識】を持ち出す必要がない。 言葉は、もっともらしい。 活字にすれば、よりもっともらしく見える。 頭で覚えるのも簡単だ。 しかし、もはや身体感覚の一つであるとも言える【共通認識】が伴わない「考え」というものは、実はちっとも「身に沁みない」ものなのだ。簡単に分かるものだからこそ、簡単に忘れ、また簡単にひっくり返りもする。また、【常識】が「理想」であるとするなら【共通認識】は「現実」であり、理想だけを重要とすることは「まったく現実的ではない」ともいえる。 つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.08.07 16:20:17
[ダソクダブン] カテゴリの最新記事
|
|