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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:本、読み物、講演より
先日写真展の打ち合わせの後、一緒にお昼をいただきました。 車いすと言っても、頭の後ろまできちんと支えがある大型のもので・・・ 「分るような気がします。 病気とかになったときなど、今では「手術さえできない」、「もやは手の打ちようがない」という表現を使ってその重篤さを表したりします。 確かにもう何もすることができない、というのはただただ手をこまねいて、時間だけが大きく流れていく、そんな虚しさを味わうときなのかもしれません。 けれどもまだ選べるときも、一つ一つを検証して想像して、どこかにこちらにしようと決め手になる基準があるのではないかと探していかなければならない。 それってかなり苦しいことだと私は思います。 「打つ手がないこと」「選びがないこと」 マザーの本にもありました 「無理なことをどうこう思い悩むのは無駄なことです。
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