2011/10/10(月)00:09
10月の聖書深読(3)
この日、シスターはとっても面白いことを言われいました。 礼服を着ていない男の人が一人いる。つまりほかの人々は皆礼服を着ていたのですね。この礼服を着るとは一体どういうことなのか、とずいぶん前から考えていたそうなんです。
そしてこの日、ふと心に浮かんできたことがあった。それは礼服は自分できるのではなく、神様に着せていただくのだ。
神様にかなう行いをしていたら、きっと神様はそれにふさわしいものを着せて下さるだろう。見せかけの礼服ではなく、必要とされているのは心に神様への礼があるかどうかだというものでした。私はこの日のみことばを何度も読みながら思いました。
私は神様のみ心に適ったことができるとは、とても思えないけれど、神様のことが大好きなのは本当のこと。
これはたぶんかなり小さなときからのことで、病院訪問などでおばあちゃんたちのお相手をして差し上げることができた時など、とても嬉しくてお空に向かって(神様に)にこにこしていたものでした。神様のために何かをする、というのでもないけれども、良心に適うことができるということは何よりの喜びにつながっています。