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カテゴリ:教会にて
聖書の箇所はマルコ13章24~32節までです。聖書の本文はこちらにて キリストがこの世の終わり(終末)について語る場面です。 私はこのみ言葉、以前に読んだことがあったかしら?と思うぐらい記憶の中のどこにもなくて、とても不思議な気がしました。(三年に1度聖書の同じ箇所が必ず朗読箇所として取り上げられているはずなんだけど・・・) 沈黙のうちに繰り返し読み重ねていくと、こんな疑問が頭の中に浮き上がってきました。 人間にとって神様という方が必要、というのは良く分かる。 ご自身に似せて作ったという人間だけれども、弱くてすぐに自分勝手なことをしてしまう。人間は神様にとって必要な存在なんだろうか・・・? と思ってしまったのだ。 しかし、もしその弱くてだめな人間たちが、物事を良く分かり、自分勝手になりがちな自分に気がついて、誰かのためになる、そんな行動をとることができたとしたら・・・ 忍耐強く見守り、善きことは何か、を示し、時にはがっかりしながらも・・・、それでも希望を失わず、必ずきっと「あなたは分かるようになる」と待っていてくださる。 神様にとって私たち人間は「生きがい」?? そうね、やっぱり神様はお父さんなんだ・・・・ てことになりました。面白い深読でした。
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