Queen of a Blue Dress
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そして、すぐにお腹が減る。なので、朝食、午前中食、昼食、おやつ代わりのなにか、夕食、夕食(基本的に一回分の食事を2回に分けて食べる感じ)という変則的な食事の摂り方になっている。食べている量は以前と大して変わっていないのだけれど、一回分の食事の量が多く感じてしまう。なので、食べて・・・30分くらい時間をおいてからまた食べる・・・ような感じ。ご飯も1膳を食べるのがやっと(って、2回に分けると1膳半くらいは食べている)胃の調子が悪いというのもあるのだろうけれど、この変則的な食べ方は、外出したときに困る。栄養補助食品などで対応できないからだ(お腹のふくれ具合の問題)会社にいるときには昼食の他にパンなんかを用意している。これをおやつ代わりにもぐもぐする。お弁当はその時点で食べる量の限度を超えているのだけれど、それを再び広げる訳にもいかない。最近ではお弁当箱は小型の(女性用の)に替えている。それでも、ちょっと食べきれないことがある。コンビニの弁当だったら確実に食べきることがない。年齢のせいなのか、胃のせいなのか・・・?別に食欲が無いわけではないので困ったモノだ。お腹が減っている時は目が欲しがってしまう。バイキングやら外食やらの場合は取り過ぎたり、大盛りにしてしまって後悔する・・・以前ではまったく考えられないw
February 22, 2011
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昨日は義母さんの還暦のお祝いで写真撮影に行って来ました。義母さんが結婚した当時はウエディング・ドレスより、和装が主流だったため、一度ドレスを着たい・・・という要望が昔から言っていたそうで、それを奥さんが覚えていて、実現の運びになったのです。とは言うものの、純白のウエディング・ドレスは気が引ける。それに還暦のお祝いだからということもあって「赤」のドレスにしました(本人の希望は若干無視? 奥さんの意向が6割??)およそ一月前から準備をはじめて、衣装選びなどの打ち合わせをして・・・で、昨日です。一応、写真館でプロの方が撮影する・・・ということもあって、義母さんは緊張。義父さんも照れくさそうでした。撮影したものの中から自分たちでどれが良いのか選び頃になって、ようやく肩の荷が下りたのか、ほっとした顔になってました。できあがりは1ヶ月後。当人より、奥さんの方がワクワク、ドキドキ・・・しているようです。
February 21, 2011
今朝は土砂降りの雨でした。スコールのような雨で、しかも風が強くて横殴り。駅のホームにいても容赦なく雨が入って来る状態で、ホームにいるのにもかかわらず、傘を開くという事態。しかも、私だけではありません。その場にいたほとんどの人が傘を開いているwなんか違和感。上半身は傘で濡れることはなかったけれど足下はびしゃびしゃ。しかも、一方方向からの雨風なので、片側だけが濡れている。なんか気持ち悪い。それにしても、台風のときでさえホームで傘をさすという行為をしたことがないのに、今朝は初めての貴重な体験をしたw それほどの雨であり、風であったのだけれど。会社に着いて、ようやく足下が乾いて来た。外を見ると、とても良い天気・・・。なんか複雑な気持ち。ま、仕方がないか・・・。
February 18, 2011
今日からおよそ8ヶ月後に結婚式記念日がやってきます。結婚当初はマンションの購入などの話があって、ひとまず入籍を先にしてしまいましょう・・・ということで、入籍と式の間がかなり空いてしまったのでした。まぁ、奥さんとしては「記念日」がひとつ増えるので、大歓迎(ケーキが食べられる)のようです。ふと思えば、今日から12年目に入ります。とっくに10年一昔・・・を過ぎていました。いろんなことがあったから、あっという間だったようにも思えるし、長くも感じます。周りから見れば成長のない夫婦なんでしょうけれど、大きな喧嘩もなく続いてきましたですよ。って、これからも続けるつもりですが^^;ということで、今日はケーキを買って帰らなければ・・・(怒られてしまうw)
February 17, 2011
テレビ番組に「色」がなくなった。お笑いとなれば、各局が競ってお笑い番組。そのブームが過ぎれば、今度はこぞって「衝撃映像」系。刑事ドラマは軒並み「心理」ものが増え・・・って、どこの局にチューンしても同じような内容のことをしている。シルシルで企業(工場)とコラボすれば、火曜サプライズでも似たようなことをする・・・。テレビ局の「企画」の無さが露呈している。確かに低予算化が進んでいるのだろうけれど、それならそれなりの作り方というものがあっても良さそうだ。ドドスコ言わせていれば良いと言うモノではない。船越さんの出ている刑事ドラマは2時間ドラマをもっとお安くした感じで、脚本も面白くない。同じように「心理(プロファイル)」を扱っている海外ドラマの「クリミナル・マインド」の方がよほど重厚でよく考えられている。同じく海外の「CSIシリーズ」は長いこと続いているにもかかわらず、面白い! 日本でも見渡せば「相棒」のようなロングランなドラマもある。長く続くには続くだけの理由がある。それは「作り込み」やら「脚本」、それから世界観の展開。「相棒」は途中でメンバが入れ替わったにも関わらず、その世界観は広がりを見せているし、面白さも増している。それはスタッフの「力」なのだと思う。全ての番組に「全力」を使え! とは言わないけれど、同じような内容で、同じようなキャスティング・・・ではデジャブを見ているどころではない。再放送、ビデオを見せられているかのような錯覚に陥る。番組を作るのだったら、他がやっていないことにチャレンジしてもらいたいものだ。スタッフも素人、出演者も素人・・・なのだとしたら、テレビというメディアに明日はない。勿論、昨日も書いたけれど、「報道」もしかりだ。どうでもいいことを追いかける必要はどこにもない。そろそろ地デジに移行することだし・・・「質」を求めたらいかがでしょう? 画質はあがるのだから・・・内容の「質」もね
February 16, 2011
漸く逃れることが出来た。一昨日から目の奥の方に軽い頭痛を感じて、更に熱はないのだけれど、熱っぽさを感じていた。急激な寒さに対応仕切れなかったのか? 昨日は一日寝ていた。寝ている間に雪が降り、夜には積もった。今朝起きてからも軽い頭痛はしていたけれど、2日も休む気にはならずに出社。午前中は熱っぽい感じと本当に軽い頭痛があったけれど、午後になって漸くそこから抜け出た感じだ。車内ではインフルエンザが流行っているけれど、それではなくてよかった^^;この3連休は車の納車と雪(天候)に悩まされた。結局は先週の金曜に車を取りに行った。雨が降っていたけれど、行きは雪にならずに済んだ。まぁ、帰りは軽く雪になったのだけれど、走行に支障が出るほどの降りではなかったので助かった。土日もなんとかぎりぎり雪にならずに済んだので、車に乗るのは苦ではなかった。日曜の夕方過ぎくらいから頭痛がした。月曜は会社を休んだ。だから昨日は乗っていない。今回の車は乗るのが楽しいけれど、頭痛を押してまで乗るモノではないw昨日一日テレビを見ていて、ふと思う。芸能界ってなんだろう? どうでも良いようなひとを追いかけて・・・取材して・・・沢尻と小向の話題ばかりだ。沢尻はその尻軽さ、小向は逃亡? ・・・って、どうでもいい。ニュース番組で取り上げるほどの話出もない。さっさと芸能界から抹消すればいいだけのことではないか? 代わりはいくらでもいる。沢尻でなければいけない通りはどこにもない。むしろ、目障り。小向にしても、薬をやっているのだから永久的に追放するべき。ということは、途中の経過などどうでもよくて、「逮捕しました」の一言があればいいだけのこと。現地に赴いてわざわざ取材するかちなんてどこにもない。酒井法子にしても、永久的に追放すればいい。なぜ、それが出来ないのだろう・・・。角界にしても(八百長やっても、体罰しても力士)、政治にしても(寝ていても政治家)同じか・・・。日本と言う国は、そんな国ってことか。
February 15, 2011
納車の日にちが決まりましたw明日以降であればいつでも良いってさぁ~♪でも、この3連休は生憎の雪。しかも、大雪。どうしようか思案のしどころです。雪が止んだとしても路面には残っているだろうし。大雪となればしばらくはあちらこちらに雪はあるだろうし・・・。かといって、週末を逃せば、来週までお預け状態(精神的には良いことはないですねぇ)さてさて、いつ取りに行きましょうか・・・。天候だけはなんともしがたいですからねぇ。道路は車が走っていれば雨と大して変わりはないけれど、駐車場とかに雪があると、それはそれで大変(雪に馴れていないですからねぇ)う~ん、どうしようwタイヤだって、スタッドレスではないし・・・。町中とは言え、雪道の運転は不慣れ。
February 10, 2011
ほんと、目立ったことをなにひとつとしてしないものねぇ。目だ立たないこともやらないから、ほとんど印象に残らない。小沢の件があるから、なおのこと。違った意味で小沢に助けられているの?歴代(私が知っている限り)の総理の中でもっともやっていることの見えない人のひとりと言ってもいいかも知れない。爆撃機が頭上を通過するのをじっと待っているのかな? ひとまず、無難に任期をやり過ごす路線に切り替えたのかな?どっちにしても、次回の選挙で民主はなくなる。短い政権交代。骨組みのしっかりしていない政党はこれだから困る。日本をかき回すために第一党になる・・・というだけなら、初めからそう言ってくれれば良いのに。総理のいすも党の中で持ち回るつもりでもいたのでしょうか?なんにしても、「政治」は動いていない。動いていないから良い方に回るはずもない。ばらまいたツケはいずれ「税」というものに変わって、年配者の方にも重くのしかかる。自分たちのお尻を、今度は他の政党に拭かせるのでしょう。・・・まるで自民と変わらない。政治家は徒党を組んではいけない。徒党を組めば、責任の所在がぼやける。結局は「責任」を次に持ち越しするだけ。尻を拭く代わりに新たな汚れを残す。調子のいいマニフェストなんて要りませんよ。そんなことだったら、マニフェストではなくて「予定表」とかそんなんで十分です。それか、「こんな感じにしたいです・・・」でもwほんと、ここ最近の政治って面白くない。
健康診断に寄ってからの出社でした。年に一回とは言うものの、面倒ですw身長が前回計測時より1cm近く伸びてました。これは「伸びた」と言うより、骨盤矯正のおかげかも知れません。背筋の伸び方がいままでとは違うので、その分が伸びた・・・といったところです。体重は差ほど大きな変化はなかったモノの、前回より1~2kg増でした。ただ、ウエストが2.5cm減ったので、それなりに「締まった」と考えればよいのでしょうか?とは言うものの、ここ最近は食欲が不振なので、そのせいかも知れません(痩せた・・・って、体重は増えているのかw)まぁ、見た目に判る範囲ではこんなところ。聴力には問題はなかったし、視力は0.1下がった程度・・・もともと眼鏡なので、度が合わなくなっているのかも知れません(老眼も出てきているし^^;)ああ、血圧が下が74で上が98でした。なんかいつもより低いです><。。 疲れが出ているせいかも知れません。
February 9, 2011
この時期はあまり本を読まない。なぜなら、1.めぼしい本が出ない時期だから2.花粉症で集中力がないから3.眠気の方が勝るから4.寒さで手を出していられないからなどなど、様々な理由があるから。ついでに言うと、読むためのサイクルというか、活字の渇望状態にない・・・というのも大きな要素。なんにせよ、これから一月くらいの間は「本」から離れる。その間は本屋に行って、読みたい(読みたくなるだろう)本を買い漁るw そして春先になって一気に読み始める。自分でもこの行動は理解出来るものではなくて、「読書冬眠なのだ」と思うことで一応納得する。この時期は雑誌すら読まない。ほとんど活字から離れた生活を送る。・・・やはり「冬眠」だwなので、去年の今頃もそうだったと思うのだが、年のはじめの方は本の話題が極端に少ない。ま、本は逃げない。自分の気持ちひとつでいつでも手に取ることができる。だから、取りたくなったら、手にするさwそれよりいまは、眠いのさ。
February 8, 2011
昨日のブログに書いた「荷物」を取りに、友人のご実家にお邪魔した。会社の帰りに駅まで奥さんに車を出してもらってからだったので、時間は20時を回っていた。ご挨拶も早々に・・・と考えていたのだけれど、「お茶でも」とのお誘い。それを無下に断るのもなんだったので、奥さんと一緒にいただくことに^^;で、出てきたのが夕飯^^; そりゃ、時間的にはそんな時間にお邪魔してしまったのだから、そうなってもおかしくはないかー。結局、夕飯をご馳走になって、話に花が咲いて・・・気がつけば22時を回っているw 横目で奥さんに合図を送って、おいとますることに。荷物を受け取って帰宅の途に着いたのだけれど、その荷物はなんと「肉」誕生日プレゼントに「肉」を貰ったのははじめてぢゃwてなことで、今日は少しねむねむな状態なのさ。会社ではインフルも流行っているし・・・今日は早く帰ることにしよう。
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宅配便が届いていたらしい。郵便受けに不在通知が入っていたのに気がついたのは日曜の午後。で、2通ほど入っていた。一通は土曜日。もう一通は日曜日の朝^^;あとで連絡して届けてもらおう・・・と思い、日曜はそのままお出かけ。そして帰りの車の中で奥さんに電話があった。「宅配から連絡があって、不在でつかまらない(私が)っていうから、実家に転送(送り主の)しておいた(から実家に取りに行ってねぇ)」つまり、宅配業者は私がつかまらないので、送り主に連絡。送り主はその転送先に自分自身の実家を選んだ・・・ということらしい。たんなる荷物なら、宅配BOXに入れればよいだけのことなのだけれど、今回の荷物は生ものらしいw で、奥さんが彼女の実家に取りにいく。そこで明かされた内容が、『荷物は肉』ということ。土曜からたらい回しにされてしまった「肉」は必然的に「熟成」されている(いくらクール宅配便だとしても)はず。旨味は増していることだろうwにしても、誕生日のプレゼントが「肉」ってw彼女らしいセンスだw
February 7, 2011
ちょっと前に身に覚えのない傷が腕などに出来ていたという話を書いた。今度は背中だ。写真では判り難いが、かなりぱっくりと切れているらしい(奥さんの談)で、傷口は盛り上がり気味で裂け目がぱっくりしている割には、Tシャツなどに血のにじみがない。勿論、痛みもなにもない。意味のまるで判らない傷・・・。いったいいつ付いたものなのか、どうやって付いたのか・・・も判らない。まるで自覚症状がないのだ。自分でひっかいてしまったのか・・・と思い、手を後ろにしてみたが、左右どちらの手も届かない。かすかに傷に触れるのだけれど、傷をこの長さに着けるのは不可能だった。寝ている間? であれば、もっと方々に傷が出来てもおかしくはない。ベッドを確認してみたけれど、突起物などは見あたらなかったし・・・。いつも、マッサージを受けているのだけれど、今回のマッサージでは背中を触ってはいない。足のリンパのみだった。そうなると、不可解wはて、この傷(たち)はいつまで付き続けるのだろうか?
February 4, 2011
あれをスポーツと呼んではいけないでしょう。賭博、八百長、暴力・・・閉じられた世界ではぐくまれたもの。これは個人の力士がどうのうこうのと言うお話では最早ない。ここ数年で出てくる話題はスキャンダルめいたものばかりだ。ファンを馬鹿にするにも程がある(私はファンではないけれど)次は女性スキャンダルでもでてくるのかな? その他に叩けば埃がでるようなことってあるのだろうか? 恐喝だのなんだのって出てきそうですね。ファンの方には申し訳ないけれど、相撲という格闘技は廃止してしまってもよいのではないだろうか。現状のままの運営では何かが変わるとも思えない。組織そのものを一度分解して、その上で再構築するしかないでしょう。本来なら、これらの問題が発生した時点で営業停止。ということは、一切の巡業をするべきではない。もしくは自粛をするべきだ。まじめにやっている力士もいるのだろうけれど、それは連帯責任だ。国もこれらの問題にもっと口をだしたらどうなんでしょう? 他の企業で問題があれば行政が立ち入ってくるのだから、角界に行政指導があっても問題はないでしょう。一部ではなく、全部に対して指導を行うべきだ。ファンにしても、一度「相撲」を見限って欲しいものだ。「甘やかし」はファンのとるべき行動ではない。それこそ、巡業があっても誰も見に行かない(ボイコット)くらいのお仕置きはして欲しいものだ。端からショー要素の強い「プロレス」などとは訳が違う。日本には「相撲」という文化を守る必要はどこにもない。伝統だったとしても、腐った伝統ならば破棄するべきだ。破棄しないのであれば、喫煙者を追い込む様に角界の不要人物を一掃しましょうよ。そうすれば、みんなよい子ちゃんになるのだから。この世の中には「必要悪」というものがある。これは必要だ。いい子ちゃんでいましょうだの、健康がどうのなど本来の姿ではない。善があって悪がある。悪があるから善がある。二分率のお話だ。排除するのなら徹底的に。しないのであれば、そのまま放っておけばいい。制裁は周囲が与える。個人的には「相撲」は要らない。
February 3, 2011
今年の花粉飛散量は過去から2番目に多いと言われている。例年の8~10倍の飛散らしい。ニュースでも連日のようにこの手の話題が流れている。私も花粉症だ。気にならない訳がない。・・・その割には、くしゃみも鼻水も・・・目のかゆみも酷くない。むしろ、去年の方が激しかったような気がする。体質が変わってしまったのか? ・・・そんな劇的な変化を迎えた覚えはさらさらない。確かに目が重たい感じはあるのだけれど、それは眠さのせいでもあるかも知れない。酷いかゆみと言ったものはない。先週、会社からの帰り道にくしゃみの連発があって、「これは来たかなぁ?」と思ったのだけれど、くしゃみはそのときだけのこと。それ以降でくしゃみが止まらないと言う事態には陥っていない。花粉症を患っているにも関わらず、この大量飛散に反応していないのは、自分のことながら驚きだwこのままかる~く済んでくれればよいのだけれど、本番はこれからだから、近いうちに対策を取らなくては^^;
February 2, 2011
納車までの時間がなんと長く感じることかw確かに契約するときの高揚感。そして納車されるまでのワクワク感はあるのだけれど、それと同時に「待つ」ストレスも発生する。どこかのサイトで「購入者側」のモチベーションと「売り手側」のモチベーションを比較していた。見ていて納得だ。確かに売り手側からしてみれば、契約時(契約にこぎ着けるまで)のテンションとそれ以後のテンションが変わる。逆に買い手側は契約以後にテンションが上がり続ける。「夢」膨らむと言うやつだwもっとも、納車されてしまうと、そのテンションは下降傾向になってしまう(一般的なテンションに戻るだけ)のだけれど。いずれにしても、「待つ」にはワクワクが2~3割で、ストレスを感じるが7割程度? らしい。それは実に実感できる。というか、共感できる。集中力にも影響が出てくるしねぇ。買い物が高額であればあるほどストレスが高まるのか? 納期が長ければ長いほどストレスになるのか? ランボルギーニなんて購入したらどんな状態になってしまうんだろう・・・ってこれは庶民の発想w きっとお金持ちの方達はそこにストレスは感じないんでしょうねぇ。車の場合、納期は1週間程度長めに回答されます。「一月」といわれれば、およそ3週間。なにかあって納期が遅れるよりは長めに言っておいて、一週間でも早まれば・・・という営業マンの配慮というか、何というか・・・だそうだ。中古車などの場合は大抵、ものがそこにあるので、早ければ一週間、遅くとも二週間程度。新車の場合は、工場からの輸送もあるからねぇ。今回の場合は広島からどんぶらどんぶら船便の旅。とっくにディーラには到着しているだろうから、そろそろ納期のお知らせが来てもおかしくないんだけどねぇ^^;って、完全にストレスになっている自分を発見w
監査が終わった。午前中から入って、睡魔と戦い、監査人と戦い・・・で、髪の毛真っ白ならず、脳みそ縮小状態^^;やれなんの資料出せ、やれそれを見せろ・・・ってまぁ、監査する人ってドSぢゃなくては務まらないかも・・・とさえ思える攻撃をかわしながらの攻防。正直疲れ果てました。まぁ、やることやっていれば監査だって楽勝なんだろうけれど、それをやるためには人も必要だし、組織としてとりくまなければならないことばかり。しかも、お金がかかる。まぁ、指摘事項はごもっともなんだけれどね。そう言う意味ではこっちも言い返す術がない。あとは、そのご指摘を上の人間がどう真摯に受け止める、そして実行するか・・・なんだよねぇ。最終的には。のど元過ぎれば・・・であれば、おそらく次回の監査の時点で同じ事を指摘されるのだろうし。やってあれば、次回の監査は楽ちん。けれども、予算がねぇ・・・。てなことで、頭の中が真っ白だぁ~よ。
January 31, 2011
昨日は誕生日だったので、少しの残業で帰宅の途についた。で、またもやJRの遅延だ。最悪。また、人をはねたらしい。死亡事故なのか障害で済んだのかまでは判らないけれど、遅延としては今月だけで最低6回(しかも、通勤時間のみのお話)毎度書くことだけれど、いったい何人殺せば気が済むのだろうか?乗客を馬鹿にしすぎていやしないか?前にも書いたことで、繰り返しになるが、遅延により振り替え輸送すれば、その振り返られた先の電車は乗車率が200%近くになる。福知山線のときのように、乗客の人数が多過ぎてそれこそ事故に繋がる。振り替え輸送のシステムこそ危険きわまりないのだ。むしろ、人を殺さないシステムをいち早く構築するべきだ。利益の追求なんかより重大なお話だ。JRの社員の給料を減らしてでも線路に立ち入れない措置をとるべき。これだけ危険な輸送システムなのに国が口を出さないのもおかしい。これも再三言っている。このまま鉄道各社の判断に任せていたら、いずれ大きな事故に繋がる。昨日は誕生日だったにも関わらず、早く会社を出たにも関わらず、遅延のおかげで不愉快な思いをした。毎度毎度、JRの対応、言うことは変わらない。対策を取るだの上に報告するなど、その場限りの対応しかしない。そんな会社だ。そんな企業だ。乗客の命を預かっているという意識がまるでない。そのくせ、酔っぱらいに殴られただのなんだのって、乗客側に問題があるようなことを言う。だったら、酔っぱらいを乗せるな。駅で酒類を販売するな。車内での飲酒を禁止しろ。煙草を排除したように「酒」も排除しろ。まぁ、吸うことは排除しても、売ることは止めない矛盾だらけの会社なんだけどね。所詮は金儲け主義。安全なんてどうでもいいんでしょう。それが日本の鉄道。それが出来ないのは「売上」が落ちてしまうからでしょう。だったら、殴られようがななにしようが文句は言うな。乗客のせいにするな・・・だ。
January 28, 2011
今日、ひとつ歳をとったことになる。特になにもない、ふつうの日だ。皺が増えたとか、白髪がでたとか・・・ない。ふつうの木曜日だ。なにも変わらない。体重も変化していない。特におめでたくもないし、嬉しくもない。(歳がひとつ増えたところで)ネガティブな感覚になることもない。そんな一日なのだ。欲しいモノがないから、プレゼント・・・というのも考えつかない。不要なものを買う必要はない。ただ、眠いw
January 27, 2011
30年間、明かりを灯した店が閉まりました。激動の変化を遂げた六本木という街に30年というのは、最早老舗と言っていいかも知れません。逆に言うと「時代遅れ」とも言えるのでしょう。店の名前は「Cabin Vocal」私の父がやっていた飲み屋さんです。いま、私が言えるのは、「お疲れさまでした」くらいです。その先の言葉は思い浮かびません。というより、一言でその歴史を語る・・・それはとても困難なことです。その店でどれだけの人間と出会って、どれだけの人間と別れて来たのか・・・そこには数えきれない「一期一会」がありました。私が中学の頃にはじめたお店です。そのお店は私の思春期も知っています。これまでの人生のほとんどを知っています。それだけ思い入れも大きいものです。今後の身の振りはこれから決まるそうです。田舎のお婆ちゃんに介護が必要なので、そちらに行くことになるのだと思います。正直、父にしても、母にしても年齢が行っていますから、介護される側になることだって考えられます。両親にとって何度目かの人生(やり直し)です。やれるところまでやって欲しいものです。やれなくなったら、戻って来てくれれば、そこに場所は確保してあります。それまではやりたいことをやっていてくれれば良いです。とにかく、30年間、お疲れさまでした。
January 26, 2011
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昨夜、枕を涙で濡らしたからではなく、寝不足だからでもない。ついに奴が来たのだ!極小な割に執っこくて、強力な奴。目だけではなく、鼻も攻撃してくるどう猛さ。その挙げ句に終いには脳をぼーっとさせる、アイツだ。これからはティッシュを手放す訳にはいかない。鼻炎薬も必需品。目薬もか・・・。ただでさえ強力な布陣を敷いているやつらなのに、今年はその兵力を10倍に増やしているらしい。まるで米国の軍隊のようだ。これだけ傭兵すれば、いつ戦争を仕掛けてもおかしくはないし、雇用問題も一気に解決だ!!というものの、毎年われわれも秘密兵器を用意している。薬、注射という手立てもあるが、マスク、鼻マスク、塗り薬などなど近代科学のすべてを投入した最新技術でお出迎え。防塵眼鏡も年を追うごとに進化している。上下からの攻撃だけではなく、不意打ちのような横攻撃にも対応した。ただ、戦争が始まっている自覚のない私は、それらの軍備を怠っていた。なんの補給もしていない。なんたる作戦ミス。なんたる怠慢。おかげで、今日になってあいつらの奇襲攻撃に出くわしてしまったらしい。ただ、私の場合、眼鏡が必要。防塵眼鏡をかけるためには、外すだけでほろ酔い気分が味わえる眼鏡を取り去るか、コンタクトを装着してスーパー完璧防御態勢を取るしかない。研究者の諸君、早く度付きの防塵眼鏡を開発してくれたまえ。なにはともあれ、今日は完敗。自分では目を開けているのか閉じているのか、判然としない。余談だが、最近の車はかなりすごい。防臭及びナノイーの機能を装備しているらしい。ナノイーやらプラズマ・クラスタなる空気清浄を行う防御装置は、「どうせ眉唾でしょ」と思っていたのだけれど、その嘲笑的な期待を遙かに上回る性能を持っている。つまり、かなり良く利く。あるのと、ないのとではまるで違う。話が逸れてしまった。今日の所はひとまず退散するが、明日からまた防御態勢を整えて、あいつらの奇襲に備えなければ・・・。
『クリスマス緊急指令 』(著:高田崇史)を読んだ。この作品はクリスマスをテーマにしたオムニバス・・・というか、短編集です。なので、レギュラ・シリーズの登場人物は一切でてきません。けれども、ちょっとビターな仕上がりになっていて、大人向けのクリスマス・・・の過ごし方? かなぁ~と。これといって秀作はないのだけれど、駄作もない。そんなイメージの作品集です。短編集はちょっと苦手です。なのでこんな評価になってしまうのだけれど、短編には短編の良さがあります。ただ、クリスマスを過ぎて読むと、ちょっと違和感? だからと言って「クリスマス・クリスマス」している訳ではないので、夏に読もうと春だろうと、時期的なものは感じないで済むかも知れません。雰囲気としては、夜にお酒でも飲みながら読むのが良いかも知れません。私自身は飲めないので、その雰囲気に浸ることもできないのですけれど。って、どうしても短編集は評価し難いですねぇ。それぞれの感想はそれぞれなものだし、全体となれば空気感しか話せない・・・。あ、文書力の問題か^^;と言うことで、今回の評価は・・・、☆☆かなぁ。「らしさ」があると言えば、あるのだろうけれど・・・、高田氏の真骨頂では無いんですよねぇ。【送料無料】クリスマス緊急指令
January 25, 2011
今朝もJRはダイヤが大幅に乱れました。いろいろな理由があったようです。線路凍結、車両故障・・・メンテをちゃんとしているの? 凍結対策ってなにもしてないの?? と疑問に思います。今年に入って、1月もあと1週間程度。それまでの間に通勤時間帯の「遅れ」や「ダイヤの乱れ(行き先変更など)」は5回ありました。もちろん、私が直接遭遇したものだけです。かつて日本の鉄道は時間に正確という評価を受けていました。現在でも諸外国から比べればマシな方なのかも知れません。けれども、それは下を見れば・・・ということでしかありません。つまり、「だから遅れてもいい」という話ではないということです。一月の間に5回(しかも、通勤時間帯に)もだといったい何万人の足に影響を出すことになるのでしょうか? これだけの回数、それだけの人数に影響を出しておいてなんの対策も取っていない・・・これはJR(だけでなく鉄道業界全体)の怠慢でしかありません。「遅れまして、申し訳ございませんでした」では済まされないことです。もちろん、これだけの「措置」「対策」を取りました。けれども、こういう事態になってしまいました・・・であれば納得もします。けれども、彼らにはそんな気はどこにもありません。だから、200%近い乗車になったとしても動いてしまいます。安全面はまるで考慮されません。遅れの原因がなんであれ、それによって人の足に影響が出て、しかもその人達は危険きわまりない電車に乗せられても文句を言うことすらできません。「声」が届かないからです。正直、それらによってJRが損害を被ることはありません。鉄道業界の暗黙の了解(振り替え輸送)という制度があるからです。あくまで儲け主義です。この事態に「国」が口を出さないのはおかしな話です。だから、福知山線のような事故が起きるんです。だから、未だに線路に人が立ち入ることができるし、死者も出るんです。これがどういうことなのか? なんて職員は考えないでしょう。鉄道各社は年間の報告義務として、故障回数、事故回数(死者、障害人数)などをきちんと国民に知らせるべきです。そう言う情報を開示するべきです。たしかに乱暴を働く乗客もいます。そっちばかりのアピールではなくて、自分たちがしていないことをもっと明確にするべきなのです。それが「安全」だし、「リスク回避」なんですから。
そりゃ、来ない訳だw「メールを良く読めよ」と言うことでしたねぇ。一月六日付けのアクセスお知らせメールに「3週間程度お休みします」(不具合があったため)旨の記述がありました^^;いつもはアクセス数程度しか確認していないから、そう言う見落としをしてしまうんですねぇ。不注意という程のことでもないけれど、なんとも情けないお話でした。楽天さんに問い合わせとかしなくてよかったぁ~wさて、先週末、奥さんの実家に行ったのですが、そこでとても「変」な話を聞きました。詳細な内容は明かすことができないのですけど、本筋の話(主題)は「不倫」です(勿論、私がしているとかの話ではないです。というか、身内の話ではありません)「不倫」のどろどろはドラマにとりあげられるほど、他人事としてみれば「面白い」とか「怖い」で済むのかも知れませんが、聞いた話は「韓流ドラマ」にでもなりそうな感じのものでした。中身的には「面白くも怖くも」ないのですが、とても不思議なものです。なにが不思議なのかというと、「着地点」が見つからないお話という点。当事者夫婦(奥さんが不倫をしていて、旦那さんはしていない)が求める「結果」が話の中で一向に見えてこない。普通であれば、旦那さんは「別れる」を決意し、奥さんは「すがる」か「別れる」を選択して終わり。まぁ、奥さんの方に非があるので慰謝料は取れないという結果になるでしょう。けれども、この奥さんは旦那さんと別れたくない・・・らしい。しかも、不倫も続けたい。逆に言うと、不倫を続けたいから別れない(不倫をしていたいという意味ではなく、独りになってしまうと収入がなくなるので、その不倫相手と別れることになるから・・・)というもの。「・・・???」まるで意味がわからない。というか、常識的な「思考」を遙かに凌駕した見解。もちろん、旦那さんは「別れたがって」いる。その為に離婚届に押印して渡している・・・らしい。・・・の割に、頭を冷やして「話合う」ことも・・・らしい。それは、別れたくないと言うことなのか? どちらにしても、言い分はおかしなもので、かろうじて見つけた着地点は崖の上・・・の不安定さが残る場所。ほんのちょっとでも崩せば、どちらかが・・・もしくは、どちらも奈落。で、一番良いのはやはり弁護士を介しての調停。やりようによれば、不倫相手からも慰謝料を取ることが可能。勿論、奥さんとの離婚も問題ないだろうし・・・旦那さんからしてみれば勝ち戦・・・なのに、しかも、奥さんは不倫相手に巨額の貢ぎ物をしたりしていて、貯金もなければ、職場にいられない状況になってしまっているので、職もないような状態・・・、としたら、「面倒」ではないく、きっちりとするべきだ。周囲の腑に落ちる決着というのは、そう言うもの。週刊誌であれば、不倫相手の家庭もむちゃくちゃにしちゃえ!(って、週刊誌と言うより、ドラマ?w)ま、当人の問題であって、周囲の腑の問題ではないから、どうだっていいのだけれどね。どろどろにもならない。かといってかなり複雑。そしてとても不思議な・・・お話でした。・・・で、結局のところ、どうしたいのさ? w
January 24, 2011
先日、購入を決めた車(マツダ biante[ビアンテ])の契約が明日に迫ってきました。基本的な書類は書いてあって、あとは押印と頭金を入れれば発注です。新車の場合は納車までに1ヶ月くらいかかるので、2月の末までには納車されるのだと思います。・・・う~ん、長い。というか、待ち遠しいw奥さんも納車が待ち遠しいようで、早くも車内の備品購入に意欲的です。モノ入れはどうしようとか、シートカバーを付けようか・・・など、いろいろと試算しています。私自身は「車」は「道具」という意識しかないので、あまり飾ることはしません。精々が、お守りとちょっとしたアクセサリ(のような飾り)程度です。なので、中の備品に関してはあまり口出ししません。標準的な装備は十分に整っているので、何かを加えることもないでしょう。あるとすれば、HDDに入れておく音楽の準備くらいなものです。あ、今度の車は「i-Stop」がついているので、運転操作に若干馴れが必要になるかも・・・。まぁ、明日の契約の時にi-Stop搭載車の試乗でもさせてもらおうかなぁ。実際に運転してみないと判らないことってありますからね。それにしても、待ち遠しいものです。かえって、ストレスになるかもw
January 21, 2011
特に夜更かししているわけでもないのだけれど、眠い。「春眠」にはまだほど遠い・・・というか、正月あたりから比べると、日に日に寒さがつのってきている。東京の冬は2月が一番寒い。となると、春眠ではなくて、冬眠か??そう言えば、去年の夏過ぎから、私の住んでいる地域でちょっとした変化がある。どんな変化なのかというと、小学生が私の通勤時間(家を出るとき)に登校しているというもの。朝は7時くらいに家を出るのだけれど、その時間に通学しているのだ。学校が遠い訳ではない。おそらく、小学生の足でも15分もあれば着く場所にある。最初は夏過ぎということもあって、運動会の練習なんかのために朝早くに集まっているのかと考えた。けれども、その運動会が終わっても、年の瀬が迫っても、年が明けても・・・その時間に通学している。「?」そんなに朝早くになにをしているのだろうか?疑問がわき上がる。一緒に通勤している奥さんも首を傾げる。脱ゆとり教育なのか? とも考えたけれど、それなら「時限」を増やすだけでよくないか? とも思う。そもそも、学校にいる時間そのものは大して変わらないのではないか?(ゆとりであろうとなかろうと)私に子供がいないので、そう言う会話の接点を持つ人間がいない。会社に来てから同僚に「子供の通学時間」を聞いてみたけれど、8時半頃に着くように出ているらしい。ということは、私の住む地域だけのことなのだろうか? およそ1時間から1時間半の間、小学校でなにが行われているのだろうか?? とても気になる。前々からブログのネタにしようと思っていて、忘れていたのだけれど、昨今の寒さの中、小学生の姿が目立っているので思い出した。なので、眠気と戦いながら書いてみた。さて、私の住んでいるところは関東。しかも、東京(23区側)にほど近い。つまり、サマータイムやら冬時間と言ったものとは無縁な所。このミステリ(というほどでもないけれど)はどう解いたら良いのだろうか^^;
January 20, 2011
ふと気がついたのだけれど、楽天ブログのアクセスお知らせメールが届かなくなった。なにかメンテナンスしているといった案内もなかったような・・・別にそれがなければならないというほどのことでもないのだけれど、今まで毎日来ていたから、気になるっちゃー、気になる。他のブロガさんたちのところはどうなんだろうか?まぁ、悩んでも詮もないことなんだけどね。そんなことでいちいち問い合わせするのもなんだし。一番良いのは、「気にしない」ことなんだろうなぁ・・・。それにしても、世間は落ち着いているように思いますねぇ。政治的には大きく動くこともない。ただ、小沢の問題がある程度。外交だのなんだのってなんかあまり聞こえて来ない。民主の動きが停滞しているってことかなぁ? 去年の尖閣諸島問題やら米軍の基地問題、中との関係だったり、北の動向だったり・・・それなりの慌ただしさだったと思うのだけれど。何事もなければそれはそれで良いか・・・。それに越したことはないってことだよねぇ。
January 19, 2011
今年の初めの一冊になってしまいました。もともと通勤の時にしか読まないので、読む速度は遅くなるのですが、年末はとても忙しく、しかも、休みの間も旅行に行ってしまっていたので、今日になってようやく読了しました。読み終えたのは『名残り火』(著:藤原伊織)です。ハードボイルドですw完成しているものとしての遺作になります。未完成のものは前にも感想を書いていますので、そちらを参照(って誰がするんだ??)この完成作品・・・とは言うものの、校正は8章までしか終わっていなかったらしいですが、クオリティは高いです。ミステリとして読んだ場合には、なんらかのトリックがあるとか、不可解な謎があるとか・・・アリバイがどうのとかがないので物足りないかも知れません。まぁ、ハードボイルドなのでそれを承知で読むのが正解かも知れません。藤原氏の作品の魅力はなにより「主人公」(のキャラクタ)で、次いで「テンポ」。特にトリックに重きは置かれていません。それだけに、ミステリファンではない人でも引き込まれる(世界観に)かも知れません。この作品では「フランチャイズに潜む闇」にスポットが当たっています。その闇の中に潜んでいるもの。そして、それらを囲むように生きている人達(闇をのぞき込んでいる)が描かれています。テーマがどうのこうのとご託を並べる以前に面白い作品です(ちなみに、テーマがどうのこうの言っていた作品は書店の平積みで、最初のページを呼んで萎えました。あれが受賞作なんですねぇ~)と言うことで、☆☆☆☆という評価にさせていただきました。【送料無料】名残り火
January 18, 2011
車の洗車に行った。ディーラに持ち込んで、簡易コーティングもしてもらうつもりだった。洗車の間、待合室でいつも対応してくれる店長さんとの会話。「いま、とてもお得な車があるんですよ。ナビ、アルミもろもろ込みの・・・要は初夢フェアなんですけどね」見れば確かにお得な価格^^しかも、こっちは今乗っている車のローンは終わっているし、自分自身での見立てである下取りの倍の金額(あちこちすっているからそんな高く査定されるはずもないと自覚)という絶好のチャンス。金利も低いし、なによりエコカー減税の対象でもある。さらにさらに、今乗っている車より一回り大きくて、燃費もそこそこで変わらない。排気量も一緒だから税金も変わらない・・・むしろ安くなる。もろもろの条件は「買換」に向いている。しかも、奥さんの目は欲しいと訴えている^^;;;つまり、前々から買いたかった車種が新車でかなりお安く手に入る。しかも、ほぼフル装備で維持費が安くなる・・・。というチャンス中のチャンスが巡ってきたということ。この機会を逃せば下取りは半分以下に下がってしまうし、本体価格、オプション含みでの大幅な値引きは期待できなくなるのだ。別に車に資産価値を感じてはいないけれど、今の車を乗り続けるにしても、いずれは買い換える。そのときにまるまるかぶるよりは下取り査定があるうちの方がよい。土曜にその話があって、その夜に会議。しかも、ほぼ買うこと前提の会議。で、さほどマイナス的な要素もないのであっさり「購入」に可決。次の日(昨日)、購入の際の手続きをしに再びディーラへ^^;書類などに記入しなければならないものは昨日のうちに書いてしまい、今週末に頭金やらそのほか必要となる書類を準備して持って行けば、契約完了となる。情報収集から購入決定まで実に1日もかかっていないスピード決済だった。ま、前から欲しかった車種だったというのもあるけれどね。って、これなんですけどね。
January 17, 2011
コンパネから[ユーザ アカウント]を選択。「ユーザ アカウントの管理」を押す。[詳細]タブを押す。[パスワード管理]を押す。登録してしまったID、PASSを選択して、[削除]以上でネットワーク接続時に記憶させてしまったものを削除できます。※ その他のID,PASSはここに登録されませんので、ご注意願います。
January 14, 2011
朝起きたとき、どうも左耳が「ぼわ~ん」としていた。左側を下にして寝ていたから、痺れてしまったのか?? と思ったのだけれど、どうも痺れとは違うようだ。耳の穴の中に空気の層があるような・・・でいて、音が聞こえない訳でもないし、聞こえ難いということもない。ただ、イヤフォンを常時着けているような感じ。聞こえない訳ではないからなにか支障があるわけではないのだけれど、なにかに集中していれば問題ないのだけれど、どうにも気になる。今日一日こんなんだったら、病院にでも行くかなぁ・・・。ただ、聞こえないとかないんだよなぁ・・・。
企業を取り巻く環境は年々厳しくなっている。コンプライアンスを代表として、J-SOX法、内部統制、ISO・・・などなど、縛りがきつくなる一方。勿論、規模的に無関係だったりあまり意味を成さないものも多くあるのだけれど、それぞれを「守る」「決める」ことはそれなりに重要だ。いま、「会社」は内側よりも外側・・・つまり、対面的な責任が重要。その対面を保つためには内側が重要・・・という局面に立っている。会計は明確にしましょう。情報の管理はしっかりとしましょう。いろいろと「しっかり」しなければならないことが数多ある。世間の速度はどの程度のものなのか・・・知る由もないけれど、少なくとも大手企業ではその取り組みに非常な時間と労力、そしてお金をかけている。それは内部の強化に繋がるだけでなく、外部に対しての「アピール」になる。つまり「信頼」の構築だ。そこには「規模」だの「有名・無名」だの「上場・非上場」だのは関係無い。やるべきことをやりましょうということ。小さいからやらなくてよい・・・は通用する話ではない。社会と照らし合わせて、一定の水準を保つよう、努力する必要がある。その水準はとても曖昧だ。これらの「縛り」の中で切っても切れないのが「情報」であり、「IT」と呼ばれるもの。最早、企業はこれなくては存続できない。まず、これらありきで動く前提となっていると言っても良いかも知れない。「情報」と「その管理の仕組み」と「ノウハウ」が会社の骨組みとなる。そこに「技術(機械などを含む)」、「人材」、「研究」などがぶら下がる。と言うことは、どうしても「縛り」と「IT(情報を含む)」は連動して考える必要が出てくる。そこのところを理解していないと、「やらなくてはいけないこと」が見えて来ない。単にウイルス対策をすればよい、侵入対策をすればよい・・・ログを取ればよい、リスクを考えればよい・・・という話ではない。もちろん、するに越したことはないが、すべては並行的かつ連動的に機能しなければ意味はない。「IT」を取り巻くリスクはそれこそ様々なものが考えられる。先の「ウイルス」、「侵入」、「改竄」もそうだが、データ消失のリスクも十分に考慮する必要がある。この消失をリカバリするのが「バックアップ」と呼ばれるものだ。一昔前であれば、この「バックアップ」だけでリスクの大半は解決できた。けれども、いま、社会が求めている機能は単に「コピーがどこかにおかれている」ではない。監査にしてもなんにしても、最終的には「履歴」としての蓄積を言われる。その蓄積期間をどれくらいに想定するかは企業によって違うと思われるが、「コピー」としての「バックアップ」とは別に「検証(履歴)」としての保管(バックアップ)が求められている。ちょっと複雑というか、判り難い。単に情報のコピーではダメ。あとで、改竄などの検証がとれるように履歴としてデータを管理しないさいね・・・なのだ。そこのところを理解しなければ、システムは陳腐なものになる。そして、いまのところ、私の会社のシステムは陳腐な方向へ向かっている。操作ログは取得出来ない。データの履歴管理もできない・・・果たしてこれで内部統制を取っているといえるのだろうか? IT監査に堪えうる仕組みになっているのだろうか?いずれにしても、ITのトップの「頭」が社会について行っていないのは明らかだ。この会社を基準にしてはいけない。せめて、親会社なりの基準にどうやったら沿うことができるか? そもそも沿っているか? くらいは自分で検証してみて貰いたいものだ。そういう「頭」である以上・・・それが「長」である以上・・・この会社のITはずだぼろだ。
January 13, 2011
伊達直人のこととか、いろいろと書きたいことはあるのだけれど、予算が・・・。とにかく面倒な予算をやっつけてしまわないと。なにぶん、全国のパソコン関係だからねぇ・・・。時間と手間がかかるですよ。しかも、内部統制とITの関係が理解出来ていない方達ばかりなので、入れたい仕組みが予算取りできなかったり・・・って、ああ、面倒。そんな毎日なのさ。・・・ふん。
当たりは当たり。懲りずにロト6です。新年の一発目が昨日でした。実は買うのを忘れていて、昨日の帰りに慌てて買いました。買って数時間後に発表というのは初めて。まぁ、25口購入しているので(今回は年の初めのご祝儀購入で共同購入分+3000円=5000円分の購入でした)・・・って、末等が1口あっただけ。ま、末等の当選確率は約1/50なので、その半分で1口当選なら率はいいか・・・回収金額は気にしない、気にしない^^;てな始まりなのでした。今年からは収支手帳をつけるようにしました。まるで外れるよりはいっかぁ。
January 7, 2011
本格的に[カテゴリ]に「JR」を加えようw年末、仕事納めの最終日(28日)の通勤時間帯に大遅延。その日は早く上がれて、17時に会社を出たのだけれど、結局のところこの大遅延のおかげでいつもと変わらない時間でのご帰宅となった。なんのために早く会社を出たのか判らない。遅延の理由は「故障点検」だったかなぁ? って、毎度毎度だ。いい加減、学ぶことをした方がよい。最終的には振り替え輸送・・・ってさ、目的地に普通に着けない上に、時間もかかる・・・それを振り替え輸送だなんて恩着せがましく言って欲しくないものだ。どうせするのなら、車かなんかで目的地まで輸送して欲しいものだ。で、昨日。昨日も定時で上がった。そして、JR品川駅に着くと「15分遅れ」とある。まぁ、それくらいなら仕方がない・・・そして掲示板を見ると[千葉行き]が2段並んでいたのがいつのまにか、下段が[東京行き]に変更されている。運良く・・・というか、なんというか、[千葉行き]に乗ることができた。それよりちょっとでも遅かったら、またもや[東京]止まりになるところだった。いちいち乗り換えるのも面倒だし、品川からなら座ることができるのに、東京では確実に立っていかなかければならない。なんとか乗り込んだ[千葉行き]だけれど、新橋当たりで急遽[東京行き]に変わることがあるので、油断できない。車内はかなり混んでいる。無事に東京駅を出発し、安堵していたら車内アナウンス「この列車は本日に限り、津田沼止まりとさせていただきます・・・」ですと。私は津田沼で下りるから良いけれど、千葉方面に向かう人達は可哀想だ。またもや勝手に行き先変更。こんなこと許されないでしょう。コーヒー注文して、紅茶が出てきたら文句言うでしょう? それと同じだ。そして、この「間違い」を勘違いしているJRは繰り返す。去年もさんざん書いてきた。まぁ、読まれているわけもないので、遅延して駅員が立っている場合には直接文句を言っている。それでも、彼らには暖簾に腕押しだ。もし、今後の選挙で「JRに喚問します」という政党が現れたら、清き10000票でも投じてあげよう・・・あ、無効票か^^;という年末年始だったので、カテゴリには「JR改善命令」を追加することにしました。今後、私の知る限りで大幅な遅れが生じたら、命令を出しますw きちんと改善されるまで・・・。何万人もの足に影響するお話ですからね。JR関係者の方がもし読む様な事があれば、紳士に受け止めてくださいませ。
明けまして、おめでとう御座います。本年も変わらぬご愛顧、よろしくお願い致します。で、新年も明け切った感のあるこの時期に、今年一発目の更新ですwしかも、今年は「疑問」からの入って行きますwさて、「鮭」は何と読む?「サケ」「シャケ」よく呼ばれる名称はこのふたつ。日本語の変換でもどちらを選択しても「鮭」という漢字が当てられている。答えとしてはどちらも正解。では何故、呼び方がふたつもあるのだろうか?Wikiで調べてみたら、諸説あることが判ったw(Wikiは便利ねぇ)ひとつは、「鮭」そのものの場合は「サケ」と呼び、その魚を加工したものを「シャケ」と呼ぶというもの。更に江戸時代は「さしすせそ」の発音が苦手だった(?)ために訛った説。つまり、「さしすせそ」が「しゃししゅせしょ」ということ。どちらも「正解」と言えるのかどうか・・・? だけれど、地方性による「訛り」ということではなさそうだ。地方性の「訛り」であれば、もっとバリエーションがあるはず。「鮭」には「サケ」「シャケ」の他に(呼び方ではなく)別名が多い。「アキアジ」「イヌマス」「シロザケ」「メジカ」「トキシラズ」(Wikiによると、すべて河川に遡上したあとの「鮭」を言うらしい)漁の時期、漁の場所などによって名称が変化するものらしい。日本人に馴染みの深い魚なのだけれど、意外とその深きを知らない魚。最近では「知識・情報」番組が増えたおかげで少しづつ知られてきてはいるものの、かなり奥が深い魚であることは間違いない。これもWikiからの受け売りだけれど、海外での鮭の立場はとても低く、犬の食べる魚・・・程度の扱いらしい。日本では、まぁ安い部類の魚ではあるけれど、いろいろな形で食卓に登場する。「鮭」は分類的には「白身」に賊するらしい。身がピンク(オレンジ)になるのは外洋でオキアミを主食とするため・・・とも言われている。まぁ、白身だろうと、赤身だろうと、美味しければそれでいいのだろうけれど・・・。別に研究するつもりがあるわけでもないので、(ふとした疑問程度のお話なので)この辺りで終わりにするけれど、最後にひとつ。「鮭」と「鱒」の違いがイマイチわからない。所属が違う・・・というのは判るのだけれど・・・。って、新たな疑問を見つけるようなマネは止めておこう。
January 6, 2011
仕事も終わり。年内は末から旅行なので、更新も今日が最後ですかねぇ。明日はまるまるフリーな状態だから、なにかあれば更新するかも知れませんが、そうそう何かあるものでもないでしょうからねぇ。ひとまず、ご挨拶だけしておきます。今年は100,000アクセス達成することができ、ブログ的にはなんか一区切りついた年だったように思います。単にみなさんのおかげです。こんなブログにおつきあいいただき、ありがとう御座いました。来年も相変わらず「言いたいこと」を言うつもりです。政治だろうが、芸能界だろうが、本だろうがJRだろうが?? ばっさりです。そんなブログでよろしければ、今後ともよろしくお願い致します。さて、ブログ的にはそろそろ最終。けれど、世間は残り3日ほどあります。3日もあればいろんなことがあるんでしょうね。旅行では特になにか巡るとかもなく、宿でのらのらするだけなので、休み明けの報告・・・になるようなことも起きそうにありません。まぁ、カメラは持ち歩くので、なにかスナップで良いものが撮れたら掲載するかも知れません(期待薄!)ということで、みなさん、良いお年をっ!
December 28, 2010
この前と同じような場所。前回は斜めの傷だったけれど、今度は縦に傷付いてました。先週の土曜のことです。金曜の夜にはなかったものです。寝ている場所なのか? と思って見てみたのですが、尖ったものもなければ、引っ掻き傷を付けそうなものはありません。自分で引っ掻いている・・・という自覚もなしです。当然・・・というか、やはり、まったく痛みはありません。困ったものです。とりあえず、2回目。今後も傷が付くようなら、寝る場所を変えてみようかなぁ・・・。今回は写真無しです。
December 27, 2010
高校にあがるまで、「本」を読むと言うことはなかった。小・中と学校の宿題で「読書感想文」があれば、その本の解説を開き、ざっと「あらすじ」を追う。その「あらすじ」がそのまま原稿用紙に載り、最後の〆は「面白かった」「ためになった」「つまらなかった」で結ぶのみ。中身を読んでいないのだから、そんな結びにしかできない・・・というくらいに「本」を読まない子供だった。 本を読むきっかけになったのは、高校の頃に映画になった「セーラー服と機関銃」だ。これをたまたま映画館で観た。そして、本屋に行ったときにたまたま薬師丸ころ子が表紙の文庫があった・・・、から、それを手にした、という単純なもの。それは読まれることもなく、本棚にしまわれるもののはずだった。 何の気になしに読み始めたら、これがはまったw 受験勉強の重圧から解放された時期・・・ということもあったかも知れない。当時、テレビのサスペンスで赤川次郎さんものがやっていた(「三毛猫シリーズ」とかね)からかも知れない。いずれにしても、その軽快さと難しくないというところが入り込む入り口だったように思う。 高校の頃は赤川次郎、それから集英社のコバルト文庫を読みあさっていた。時にSF(眉村卓さんなんかの・・・やはり映画から・・・)、時に青春もの、時にエッセイ・・・。横溝作品は映画でしか経験していない。一度だけ「病院坂の首縊りの家」を読んだけれど、ちんぷんかんぷんだった記憶がある。大学に入って「ミステリサークル」に入った。特にスポーツに興味もなかったし、その頃はどっぷりと「本」に浸っていたので、迷うことはなかった。メンバも少なくて、ゆるゆるなサークルだった。 さすがにミステリーサークルの面子が読むのはマニアックなものが多くて、赤川次郎は鼻で笑われるレベル。西村京太郎でさえ・・・だった。ユーモアミステリが全盛の頃に、急激に方向転換を余儀なくされた。 で、乱歩賞作品を手当たり次第に読むようになる。乱歩賞受賞作は様々なジャンルがあった。社会派、ユーモア、歴史、青春・・・その時代時代を反映したジャンルが目の前につぎつぎ現れる。これは新鮮だった。その受賞者達の他の作品にも手を出したりもした。それでも、乱歩当人、黒岩、小栗なんかの日本古典には手を出せずにいた。 難解なものは相変わらず苦手だったけれど、乱歩賞を受賞するような作品は素人にも優しい。勿論、本格的な謎だし、論理的な解決でもある。ただ、受賞作には限りがあったし、入手できるものばかり・・・とはいかない。当時の読書量はさほどでもなかったにしても、一年も過ぎれば読むものはなくなってしまう。 そんな中出会ったのが「島田荘司の本」・・・これがある種の新鮮味を持って、目の前に現れた。『占星術殺人事件』・・・これは後半部分に読者への「挑戦」が織り込まれている。この読者への挑戦は(他の作家さんだってやっていたことなんだけど)初めて触れるもので、面白かった。それがきっかけで島田作品を読み漁ることになる。 社会人になってしばらくは(読書の)ペースがつかめないでいた。まぁ、社会に出て「仕事」というものに馴れるというのが最大の「生活」だったから、「読書」というものは二の次・・・というか、読書どころではなかった、というところ。 ようやくペースがつかめた頃には「内田康夫」作品にはまり込む。赤川、西村、内田・・・どの作家も作品の「量」は豊富。まぁ、この頃は「内田」一辺倒になっていたけれど(テレビの影響もあって・・・って、テレビ主導??) そこからはホラーなんかも読むようになる。映像で観るよりも「読む」方が怖かったりする。特に独り暮らしだったので、怖さは倍増w やがて「内田」離れを起こす。パターン化による安心感、安定感は内田に限らず、先の作家さん達に共通するところ。けれども、このパターン化というのは良い解釈の結果。裏を返せば「マンネリ」に繋がったりもする。もっとも、内田作品によって再び読む速度が上がって、冊数も増えたのは事実。 このマンネリ打開のためにここから作家開拓(読む作家さんを増やす)が始まる。手始めに綾辻、二階堂、有栖川・・・といった「新本格派」作品に手を出す。この「新本格派」は先の島田氏が提唱したムーブメント。古式ゆかしき体裁を持った作品を作りましょう・・・と言った感じの動き。 そして、西澤、清涼院を代表とする「メタ」にも手を染める。読む作品に緩急がつき始めた・・・と表現すればよいのだろうか? この方達の作品は量ほど多くは無いけれど、一冊一冊がそこそこの(読み応えとしての)重量感を持つ。その重量感が現物として感じられるのが・・・「京極堂」だろうw 通勤時に読むには重いし、持ちにくい。けれども、その構成、キャラクタはその重さを忘れるくらい、しっかりとしていて面白い。 京極堂より少し前、自分の考え方を左右する作品と出会う。笠井作品だ。ミステリの中に「哲学」が持ち込まれている。この作品群との出会いはかなり衝撃的で、この作品以前、以後では「自分」がまるで違った人物になってしまった・・・かのような錯覚さえ覚える。今の自分の土台がそこにある。そして、「哲学」の意味を真剣に考えた(考えさせられた)・・・作品群。 藤原伊織作品との出会いもこの頃か? 藤原作品群は抜群にテンポがよく、「言葉」の使い方が上手い。好きな作家の三指に入る。まぁ、そのファン振りはこのブログでも書いていることなので割愛^^; 読み始めから現在に至るまで・・・ざーっと、流せばこんな感じ。今年の春から夏にかけては「青空文庫」さんの電子書籍で古典(小栗、黒岩、海野・・・などなど)も読んだ。とてつもなく情報量が少ない時代の作品だけに、いまでは子供でも知っているようなことが重要な仕掛けになっていたり・・・とても稚拙に感じるものだった。 これまでに海外物も読んでいない訳ではない。ドイル、ポー、ルルー、カーのような古典も読んだし、シャーロット・マクラウドなんかも読んだ。もっとも、海外ものは「訳」によって内容が微妙に変わるので、読むのが大変なんだけど・・・。 さて、来年はどんな作家さんが本棚に加わるのだろうか? どんな作品が軒を並べるのだろうか? また、人生観やら考え方を変えてしまうような作品に巡り会うことがあるのだろうか?
関、君は何も判っていないのだね。「○○と言われています」「○○と言うのでしょうか?」一体誰がいっているのでしょうか? マヤの人間? フリー・メイソン?君の言っていることの総てはこじつけでしかないのですよ。都合の良いことだけを繋げた結果でしかない。踏み入って良いところ、言っていいこと悪いことってあるんですよ。そこを弁えた方がよいでしょう。人の生き死にを煽るのはいただけません。憶測で語るのは、たとえそれが「都市伝説」とは言えど遠慮すべきです。ま、信じるか信じないのかは私次第というのだから、「信じません」けどね。どうでもいいことなんだけどwちと、調子に乗りすぎだよ、関君。
December 22, 2010
例えば、ある作品の受賞が「出来レース」だったことが後に発覚したら・・・。そして、その受賞作が既に販売されていたりしたら・・・。受賞者やその賞の主催者(もしくは、主催した会社)はどういう態度をとるのだろうか?「出来レース」に関して法的な規制だとか処罰ってあるのだろうか? 考えようによっては詐欺のようにも思えるし・・・。単なる売名行為だとしたら、その作品を購入したひとたちを馬鹿にしているようなお話だ。たとえ、それが世間で言われるゴーストの手によるものではなくて、当人の手によるものだったとしても・・・だ。価値は断然下がる。本当のところは闇の中かも知れないけれど、実際にそれが「出来レース」であるという証拠なり証人がでてきたら、きっと裁判になることと思う。では、その裁判に負けた場合はどうだ? 当人は勿論、それに関わった人間、会社は謝罪することになる。それだけで良いのだろうか?その場合、購入者の求めによって返品(商品の返却と購入金額の返金)を行うべきだと考える。それが既に読まれたものであったとしても、「賞」そのものが詐欺同然で、その話題性で購入した人間からしてみれば、詐欺の被害者ということになる。とすれば、(あくまでも購入者の判断で)求めに応じる必要があると考えるのだ。これくらいの厳しさが無ければ、今後そういう「出来レース」がまかり通ってしまうことになる。「賞」=「話題作り」というレッテル。手元に置きたいひとはいるかも知れないけれど、そう言う人は少数でしょう? 大半の人は「騙された!」って思うのではないか・・・?さて、この問題・・・、皆さんはどう思います? もし、購入者だとして、「出来レース」があとで発覚した場合、返金要求したくなりますか?もっとも、その作品がそんなこと度返しするくらい素晴らしければ、上記は杞憂かもしれませんけどね。
そう言えば、『ダメ国、ニッポン!』のことをすっかり失念していた。・「主」の不在・はき違えた考え方の輸入・「免許」の与え方・バブルの教訓を活かせていないまで掲載していたと思う。ようやく半分を過ぎたところだ。残り半分は、・おろそかになった教育・事なかれの結末・政治家の大罪というもの。けれども、最近のプチ忙しさにかまけて・・・書いてない^^;頭の中にはあるのだけれど、文書化していない^^;;;;急ぐものでもないし、締め切りがあるようなものでもないので、年を越すことにした。これから書いたところで、たかが知れているし。それに真剣に読んでいるひともいないでしょう・・・という言い訳。なんにしても、書いていないので掲載も出来ない。暮れと明けはそれなりに忙しい(実家と旅行に行くため)ので書けそうにない。一応、モバイルは持って出かけるつもりだけれど、それをいじくっている時間があるかどうか?ま、上記のタイトル見れば、内容も大方予想がつくだろうしねぇ。想像に任せてしまう・・・は、余りにも無責任かw気分と気温は年末らしくないのに、日にちだけは年末に近づいている感じ。どうしても、年の瀬感がない。だから、焦りもなくて、だらだらとしている。こんなぐうたらで年を越してしまっていいのだろうか? ま、それはそれでいっか・・・と無理矢理な納得。
『名残り火』(著:藤原伊織)を読み始めた。藤原氏の遺作であり、かつ、過去に発表した『てのひらの闇』の続編(その後のストーリ)というもの。「解説」から読んでしまうというは、僕の悪い癖(どこかで聞いたような言葉w)いつも、この「解説」には文句ばかりを言っているような気がするのだけれど、今回の解説はちょっと違う。とてもスマートで不快感のない解説になっている。解説の解説たる解説? と言ってよいかも知れない。つまりは、解説のお手本。解説者は吉野仁という人。初めて聞く名前。だから、この方の人となりをまるで知らない。けれども、藤原作品を読み込んでいるのは間違いなくて、藤原氏(なんか歴史上の人物のようだがw)の経歴なんかもよく知っている方のようだ。経歴をさらっと。過去の著作物についてもさらっと。そして、本作に繋がる『てのひらの闇』についてはちょっとだけさらっと・・・。読んでいる人が興味を持つか持たないか・・・の瀬戸際の妙。読んでいて「これが解説って言うんぢゃねーのぉー」って思ってしまうほど、心地よい解説ぶり。久しぶりに良い解説に当たった感じ。自分で言うのもなんだけど、「解説」をこんなに褒めることは珍しいことだ。逆に言うと、それだけ「解説」の体を成していないものが多いと言うこと。できれば、こういう「解説」をお手本にして欲しいものだと思う。本編の著者である藤原氏の作品は「無駄」がない。そして「卒」がない。文書の隅々までがエンターテイメントでハードボイルド(?)なだけに、こういった「解説」がとてもよく合う。さて、次は本編かぁ・・・今年最後の作品(恐らく)になると思う。〆には丁度良いというか、贅沢な感じがする。しかも、これが遺作。後にも先にも、新作が出ることはない。その極上ぶりをじっくり堪能したいものだ。そうしなければ、年末まで残しておいた意味がない。それこそ名残惜しいのだ。
December 21, 2010
99,999及び100,000が足早に去って行っていた^^;でも、このキリ番さん達は「名無し」さんでした。で、温ちゃん777さん、100,001でした。新たな一歩目です。ありがとう御座います。見ようによってはシンメトリでなかなか良い番号かもw大台に乗るのは年内ギリギリかなぁ~と思っていたので、ちょっと驚きでした。今後ともよろしくお願い致します。と、ご挨拶でした。
2011を占う・・・というより、予測してみましょう。と言っても、総括するということではなくて、思いついたことだけなんだけどね。2010を振り返ってみると、中盤からiPad、iPhoneの台頭が始まり、これが契機になって携帯電話の情報端末化に加速がついた。S社だけでなく、D社、a社が打倒iPhoneに意欲的に取り組んだ(もっとも、スマートフォンと呼ばれるものは数年前からあったけれどね)世の中は電話よりメール、メールよりインターネットを選択している・・・のだろうか? 少なくとも、お年寄りにはとっつきにくいのは間違いないのだけれど・・・。ここ最近では「Android」「BlackBerry」「WindowsMobile」「Xperia」などの携帯端末用のOSがどんどん出てきている。確か、iPhoneの場合はLinuxがベースだったように思うのだが・・・どうだっけな? 脱獄したあとはLinuxとしての稼働だったような・・・。モバイルに明るく無い人にとってはなんのことやら? な言葉が並ぶ。それぞれのOSは一長一短で、どれが「良い?」というものはない。単に好みの問題となる。操作にしても、タッチなのか、キーボードなのか?? 最終的にはやはり「好み」だ。今後開発される端末は上記のOSのいずれかに集約されるはずで、そうなるとハードウエア(端末)の規格、OSの規格がより明確になってくる。つまり、コストの面などを併せて考えると、似たり寄ったりのものが出てくることになる。あとはCPUの性能差であったり、表現のカスタマイズであったり、操作性、形状で個性を出すしかなくなる。あるいは重量やバッテリの容量の問題かも知れない。これらが何を意味するのか?これまで携帯電話の世界では「ウイルス」の騒ぎは少なかった。それは、携帯の機種毎に仕様がまるで違っていたため、「ウイルス」の作者はピンポイントでウイルスをつくるしかなかった・・・という背景がある。極端な話、X社が出している携帯、Y社が出している携帯、Z社が出している携帯(携帯のメーカの話)では仕様が違いすぎて甚大な被害を演出出来ないのだ。例えば、X社の出しているXXという携帯電話用のウイルスを作ることは出来ても、X社のNNと言う携帯、その他のメーカの携帯で動くウイルスにはならない。規格がばらばらだったために、ウイルスを作ってもあまり効果が望めない・・・と言うこと。で、OSが規格化され、機能が集約されるようになって、共通化が進むとどうなるだろうか? 当然、ウイルスの制作者は「やる気」になるでしょうwしかも、現在の所は脅威にもなっていないので、スマートフォン用のウイルス駆除ソフトはほとんど存在しない。つまり、無防備で極めてリスキな状態にあることになる。どんなことが予測されるだろうか?(ウイルスの被害として)・個人情報の流出・知らない間に勝手に電話がかけられる・勝手にメールが送られる・勝手にお財布携帯が使われる・・・などなど。早いところスマホ用のウイルス検知なり、ファイアウォールなりが開発されないと、とんでもない事態に陥る。特に今後モバイルの普及、Wifiの拡大などが進めば、事はモバイルだけではなく、家庭のパソコンにまで被害が及ぶことだって考えられる。勿論、Wifiを利用している家庭用ゲーム機器なんかも同様だ。2011年はスマホの利用台数は激増すると思われる。この冬の各キャリアのCMを見ても、その力の入れ方は尋常ではない。そう言う意味で言うと、その増大に伴うウイルスの蔓延・・・もまるで絵空事という訳ではなくなる。困ったことに、この環境(携帯を中心とするスマホの環境)は老いも若いも・・・いろいろな人間が触ることになる。・・・ウイルスなんかの意味もわからない、対応も出来ないような不特定多数の人間が触れることになる・・・ということだ。この問題はなにも個人に限ったことではない。企業としても問題を孕むことになる。そもそもが、ウイルスが個人情報の盗用とか電話を勝手にかけまくる・・・だけに向くとは限らないのだ。例えばキャリアの基地局をパンクさせることも可能かも知れない。そうなればスマホでなくても、一般の携帯電話にも影響を及ぼすことになる。加えて、企業などに侵入しやすくなる。それだけではない。まったくの予想外な現象が起きるかも知れない。特に日本は携帯依存している人は多い。ちょっとしたことでパニックになる可能性は非常に高い。情報テロだって簡単に仕掛けることが可能だ・・・。こういったセキュリティに直面しても、子供は対処出来ないし、コンピュータやセキュリティ、ネットワークに明るくなければ対処は遅れるばかりだ。2011年はもしかしたらとてつもなく危険な年になるかも知れない。各キャリアさん、局の対策、回線対策・・・お済みですか?
December 20, 2010
この12月に入って、確かに朝晩は1桁台の気温。けれども、日中は日の当たっているところだと、暑いくらいの陽気。勿論、これは関東のお話。もっと絞り込むと、私の生活圏である東京、千葉でのお話だ。朝は確かに寒い。夜も暖房が必要。けれども、日中は比較的暖かい・・・なんてものではない。日陰や風があれば確かに空気は冷たく、冷気が露出した部分を冷やすが、日の元にいると下手にマフラなんかを付けていると暑いくらいだ。今日も日中の気温は16,7度くらい。これは春先の陽気だ。これから冬本番を迎える・・・という雰囲気ではない。街はクリスマスムード満載なのに、どうもピンとこない。別にヒートテック素材のものを着込んでいるわけではない。ないのだけれど、例年に比べると、寒くない。朝、駅のホームで本を読んでいるときも、手を出していても差ほど「冷たい」と感じない。さすがに雨が降ったりすれば寒さは感じるけれど、そこにきてコートの襟を立てる程でもないし、手袋が必要ということもない。「雪」はもともと少ない(一番多いのは2月頃?)から大して驚きもしないけれど、この暖かさは異様だ。まだ、秋の延長線上・・・と言っていいかも知れない。関東はこんな感じ。さて、日本全国はどうなのだろうか? 私はマリンスポーツもウインタースポーツもやらないけれど、今年のゲレンデは苦労するのだろうな・・・と思う。
よく、知らない間に「傷」が付いていることってありますよね。紙を束ねているときに、すーっと切ってしまった。けれどもそのときは痛みもなく、出血もない。後になって急にしみてくる・・・といったような傷。私には、なぜだかそれが多い。通常、肌の露出している部分に傷はできるのだろうけれど、それが、服の下だったりする。あまり、傷なんかつかないような場所に擦過傷だったり、切り傷が出来たりする。で、先週の土曜のこと、奥さんに指摘されて気がついた傷・・・。右の首筋(耳の後ろの方の首筋)に4~5cmの傷があった。指で触れると、そこに傷があることがはっきり判るほどのもの。強く押さえたりしなければ痛みはないが・・・写真でも判るくらいの傷。少なくとも金曜の夜、寝る前までには無かった傷。いつ、付いたのかも判らない。不可解なものだ。ちなみに、枕にそば殻とかは使われていないし、寝ているところを手でなでながら確認したけれど、尖ったものなんかはなかった。勿論、服も(襟首のところ)チェックしてみた。けれども、傷をつけるような凶器(?)になるようなものはなかった。髭剃り? とも思ったのだけれど、場所的には髭剃りを当てるような場所でもない。いつ、どのようにして、なにで付いたのか判らない傷。いつもは、左半分にしか付かない傷が今回は右側にも付いた。
地デジ、BS、CS・・・もろもろの放送網が整った世の中にあって、「NHK」という存在は必要なのだろうか?そもそも、テレビ局が少なかった頃には「NHK」の放送網は随一だったけれど、この世にあって、その当たりは民放も遜色はない。問題は「アンテナ」という世の中だ。コンテンツ(番組)として面白いものがあるのか? と言われると、100人が100人ともに「面白い」と答えるようなものもない。自分にとっては見る価値がない。昔はチャンネル・・・だったので、間違ってというか、行きがかり上一瞬だけNHKを通過することはあったけれど、今はボタンなので、それすらない。そんな、個人的に「厄介な局」が勝手に流すものに対して「お金」を支払う必要を感じない。この前、そんな裁判があったようだ。テレビを購入すると、必然的に受信してしまうもの。喩えそれが見ない局でも・・・なんだか押し売りも良いところだ。だったら、スクランブルでもかけてください。映ってしまう迷惑料をください・・・って思ってしまう。ある家ではパソコンでテレビを見ている・・・。でも、持っているのは「テレビ」ではなく「パソコン」だ。それを言ったら、部屋の中にずかずか上がって来た・・・なんて話もある。パソコンの機能上、ただテレビが映る・・・だけのことなのに、そんな事までするの?? だ。そう言う観点で言ったら、ワンセグが映る携帯、カーナビでも徴収するべきでしょう? それはいまのところしていない。仮にワンセグ付きの携帯(ワンセグの機能が不要だけれど、その他の機能が必要として、それを買ったのだとして)NHKの料金は支払わなければならないのだろうか?そろそろ、NHKも国営としてではなく、営利団体として活動しても良いのではないだろうか? ペイテレビでもいいだろうし、支払わない家庭にはスクランブルかけるとか・・・勝手に映しておいてお金ちょうだいでは納得出来ない時代になっていると思うし。逆に、取ると言うのであれば、携帯を始めとしてテレビが映る全ての機器の所有者から徴収するべきでしょうね。それこそ、ワンセグ持った子供からも・・・。
December 17, 2010
本日もまた、止まりましたねぇ。その理由が前代未聞です。私の乗っている線とは別に・・・物理的にも、接点としてもない線で、緊急停止が行われたという無線が入った(別に乗客に聞こえた訳ではなく、車内の放送による)そのために、まったく無関係な(私の乗っている)線が緊急停止(安全確認のため)した。「え?」である。その理屈で言ったら、新幹線が止まったら、安全確認のために在来などにまで影響(無線が入ったら)が出るってことっすか??確かに「安全の確認」は必要なこと。但し、安全の対策を取っている場合のみ。今のJRは安全対策すら取っていないではないか・・・。車両故障も毎度のこと。故障が頻発するということは、その時点で安全に問題があるということでしょう。これが飛行機だったらどうでしょう? メンテナンスの行き届いていない飛行機に乗りたいという人っているんでしょうか? 電車だって、福知山線(?)のときのような惨事がないとは言えないだろうに・・・。「確認」=「安全」ということではないということをまるで判っていない。結果、無線を受けて止まったところが電線と電線の間・・・と言う列車がいて、それが立ち往生。お馬鹿の連鎖もいいところです。おそらく、この教訓も今後のJRには活かされることはないでしょう。先週の金曜日から1週間。その間に同じ路線で3回(大きな遅れ、列車の運休)小さなものまで含めればほぼ毎日・・・学ばないにも程がある。「申し訳ありません」で済ましているJRの責任能力の無さにはあきれかえる。何万人もの乗客を馬鹿にしすぎている。こんなにJRネタが多いと、その内カテゴリに「JR」ってつくるぞw ヲラ。
私の中に「お悔やみの言葉」というものが存在しない。とても残念なことなのだけれど、人の死に直面したときに「言葉」が出てこない。私にとっての「死」は言葉では表現できる種のものではなくて、気持ちの中にだけ存在しているもの。その「気持ち」を表現しようにも、それは「思い出」であって、記憶であって・・・対「亡くなった方」との極めて個人的な「関係」であったりするので、それを要約するような「言葉」が見つからない。だから、基本的には「お悔やみ申し上げる」しかない。残された者にはそれぞれの「想い」があって、その想いを語り合うことで「死」という現実(の悲しみなど)から解放される。けれども、私は「言葉」を飲み込んでしまう。涙も浮かべるけれど、流さない。その感覚は傍からみれば「冷徹」に映ることかも知れないけれど、私にとってみれば傍と同様の悲しみを内側に抱えることになる。外に出して昇華させるのと同じように、内に抱えて抱き潰す・・・ような感じ。この感覚は初めて意識した「死」(お婆ちゃんの死)のときからのもので、これまでずっと変わっていない。変わる必要もないと感じているし、この感覚が間違っているとも思っていない。私自身はこれまで、そしてこれから先に直面する「死」に対して、たった一言だけ、言う言葉を用意している。それまでは誰にも言うことのない「言葉」恐らく、その言葉さえも心の中で言うものだと思う。というか、心の中で言うことになる。それは、その時が来ないと言えない言葉だし、その時にならないと通じない言葉なのだと思っている。それまで、「言葉」として、どんな表現をしようとも、なにしようとも・・・。誰にとっても、対しても・・・。それまでは不器用でいようと思っています。というか、不器用であり続けるのだと思います。
December 16, 2010