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昨日、ダンスの練習のあと
スタジオの出入り口付近で、先生と生徒4名で40分ほど雑談。 先生には、外国人の友人が多々いる。 で、その友人たちは、日本人との会話にストレスがたまるそうな。 言葉が通じないストレスではなく。 本音かどうか、わからないストレス。 にこにこして「はい」と言っていたが 本当は「NO」と言いたかったんだとか。 外国人の彼&彼女たちは自分の意見はビシッとストレートに言うそうな。 「それは、あなたが間違っていると思う」 と、本人に面とむかってはっきり言う。 ダンスの先生もそう言われてグサ~ときたこともあるが 裏表がなく、本心で話してくれるから とってもつきあいやすいそうだ。 言葉が通じないことよりも 気持ちが伝わらないことの方がストレスは大きいのではないだろうか。 その話をきいて、たしかに日本人はグレーゾーンが好きだよな~と思った。 「事実」ではなく「憶測」でものを言うことが多いようにも思う。 それが、長年の農耕生活からの知恵なのかもしれないが 「わたしは、こう思う」という意見をもっていないのは 意見を求められる場がないから、なのでは?とも思った。 親に従い、先生に従い、年長者に従うことが、よしとされているから 大人になってから、意見を求められると 「ようわからんけど、アノ人がああだ、と言っているから、そっちにあわせておこう」 とリーダー格の人の意見になびいていくのかしら。 うわさ話も半分以上は「憶測」なのではないだろうか。 なぜ、「事実」を確認しようとしないのだろうか。 そういや、以前ある新聞社が掲載した記事も、この事実と憶測がかき混ぜられていた。 「事実」と「憶測」区別のスキルも今後のわたしのテーマ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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