カテゴリ:昔話
久しぶりに腕時計を新調した。 引退してからは時計とは無縁の生活を送っている。積極的に時計と距離を置こうとしているわけではないけれど、現役の頃ほど時間に縛られることがないので時間を知りたくなれば室内や街角の時計を見るか、携帯電話やパソコンの時刻表示を見れば用は足りるというものだ。 一度修理しようとしたが、安物の時計なら買えるほどの費用がかかると知って断念。以後、今日まで腕時計は使っていない。 そういう時間とは疎遠な生活をしている私でも、時には時間に縛られる仕事をすることもある。そういうときには妻ヘレンの腕時計を借りて済ませてきたのだけれど、やはりそれでは具合が悪いこともある。思い立って久しぶりに腕時計を買うことにした。
腕時計といえば思い出すのはパイロットへの道を踏み出したとき、父が腕時計を買ってくれた。SEIKOのKingSeikoというタイプだった。二十歳前の若造には過ぎた品で、当時父が幾らで買ったのかは定かではないが相当高価だったことは間違いない。 当時の私は自分の道を切り開いていくことに必死で、父がその時計を手に入れるためにどれだけの苦心をしたかを思う余裕はなかった。それどころか、激しい訓練の間に幾度か時計を壊してしまい、 修理の度に「こんな安物を!」と思ったものであった。今日のGショックのような耐久性は望むべくもなかった時代だ。
何軒かディスカウントショップを梯子して選んだのは某社のソーラー電源の電波時計。1万7千円ほどの品だ。父が買ってくれた時計に比べれば遙かに高性能低価格。技術の進歩は価値観をも破壊する。今は父の形見とも言えるあの時計はその後どうしたか全く覚えがない。当時の父の気持ちも汲み取れず、申し訳ないことをしたものだ。
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最終更新日
2009年11月07日 21時35分03秒
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