テーマ:DVD映画鑑賞(14202)
カテゴリ:映画
久しぶりにアマデウスみました。
それもディレクターズカット版というやつです。 この映画、クラシックなど全く興味が無かった僕に(今でもそんなに聴いてはいないんですが) 始めてモーツァルトという作曲家に興味をもたらしてくれた好きな映画です。 でもこの映画が出来て20年以上も経つんですか、信じられない。 そんなに昔に見たとは思えないんですけど。 当時劇場で見たのではなくテレビ放映が最初だったと思います。それかレンタルビデオ、ですので出来てすぐ見たというわけではありませんがそれでも17,8年ぐらい経っているということですね。 まあ、その後何度か見ているのですが、久しぶりに見た印象は、ディレクターズカット版じゃなくてもよかったなあと思います。長くなった事で退屈したという印象は全く無いですが、元のままのほうがいい気がします。 この映画のなかのドンジョバンニのシーンは本当に圧巻です。 そして見るたびに思いますがサリエリの悲しみというか、 自分の音楽の才能は、モーツァルトを誰よりも評価し、 また、それがわかるためだけの才能と感じるところ。 ドンジョバンニの公演を自分の政治力を駆使し7日(8日?)で打ち切りとしながらもその公演の間、毎日訪れ自分だけが理解できる音に酔いしれる、 年老いたサリエリが振り返るこのシーン大好きです。 余談ですが日本語吹き替えの年老いたサリエリをやっている方凄いですよね、 僕は、アマデウスはこのサリエリの声だけ考えても吹き替え版が好きです。 後半のモーツァルトとサリエリ二人でレクイエムを作っているシーンも好きなんですが昨日ネットで色々調べたらレクイエムという曲は未完成でかなりの部分他の人間(弟子達など)が付け足していて映画のシーンの部分も一部モーツァルトが作曲していない部分を2人で作っているようになってるらしいです。 まあもちろん、レクイエムをサリエリが手伝って作ったということはありえないのはわかっていますが。 サリエリが全ての凡庸なるものの代表であるという締めくくり妙に共感してしまいます。 ああそういえばディレクターズカットのほうがサリエリがそれまで 音楽が出来ることを神に感謝し決してその教えを破ろうとしなかったのが 神を捨て、毒殺を考えるようになった心の移り変わりというのはわかりやすいかもしれませんね。 でも見終わったあとにやはりモーツァルトを聞きたくなります。 いい映画ですね。 JakeBox.NetRadio お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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