「おかま」と言われていた事実...セクシャルマイノリティ
さまざまな人間模様が見られたオリンピックでした。メダルの話題だったり、競技の話題だったり今も取り上げられています。その中で、セクシャルマイノリティの話題があります。いままでなら、そのようなことが話題になることなく、自らのセクシュアリティを話す選手はいなかったと思います。「LGBT」最近この言葉をよく耳にするようになり、世間でも受け入れられるようになりました。私は小学校の時にいじめにあっています。「おかま」と言われていました。この言葉は、とてもいやでした。今は、すごく言葉を選ばずに、文章にすることができるのに驚いています。言われていたのは、言葉遣いが女性的だったからでしょう。男性的な言葉は、自分の性格にはあっていないと思い、使うことにも抵抗がありました。初恋の人は女の子でしたから・・・ただ言葉使いで判断されていました。「気持ち悪い」「近寄らないで」まるでばい菌のように扱われていました。自分はその言葉を意識してしまったら、みじめになってしまうと思って聞こえないふりをしました。それでも、その場所にいることが自分では、大切だったと思います。今なら逃げてもいいよって言われることだと思いますが・・・。矛先はすべて、弱いものに向けられるんですよね。みんなのストレスのはけ口のように、周りの話題になっていたと思います。このままだと、自分はダメになってしまう・・・つぶされてしまう。みんなに認められたいと思っていたのですが・・・その手段がわからなかったです。登校拒否をしてもおかしくなかったのだろうけれど、それもできなかった。学校では、黙って過ごせば1日の生活が何事もなく過ぎていくことができたし、自分が我慢すればよかった。親にも、学校が嫌だとは言えなかった。何、情けないことを言ってるのと、言われるのがわかっていたから。それでも、人には優しくしないといけないなぁって思っていました。掃除でも、委員会でも、クラブでもみんなが嫌だなって思うことは、自然と自分のところに回ってくることが多くありました。その仕事をこなすことで、ひょんなことから学級委員になることがありました。みんなが認めてくれたのか、やりたくなかったから推薦されたのかわかりませんが・・・。そこからですね。クラスの決め事を学級として話すための司会をやったり、クラスの代表として発表したり認められることが多くなりました。「女言葉を話す変わった真面目な子」になっていました。これが小学校の時でした。 このことを書いて病気のこと以外に話題が広がりそうですね。この話題は長くなりそうなので、また改めてブログにします。このブログを書くにあたって、何かのきっかけになれば…と思って始めたブログなので…。ただ、まだ表立っては声を上げることができません。不快に思ったら、ごめんなさい。