盆休みの反省
今年の盆休みも8月13日から15日に家族で山に行ったが、悪天候で大変だった。反省すべき点は多いので、まとめておこうと思う。まずは、天気をしっかり確認しておくべきだったということである。今回は折立から薬師沢経由で雲ノ平、岩苔乗越から黒部源流を経て黒部五郎、再び折立というルートだったため、一日の移動距離が長く、エスケープしようにも計画変更が難しかった。晴天が続くと予想されているとき以外は行くべきではなかったと思う。12日に台風4号が日本海を北上するとわかった時点で行き先変更が必要だったが、強行してしまった。そのときは13日と14日は曇りときどき晴れの予報だったのだが、うのみにせず前線の存在にも注意しておくべきだったと思う。案の定、前線が居座って大雨になってしまった。ラジオは持っており、毎日天気予報を確認したが、現地に着いてからでは遅かった。最大の反省点は、登山道の水たまりを避けるために登山道脇の植物を踏みつけたということである。植物をはじめ山の生き物を保護するため、登山道以外は歩かないというのが山のルールになっている。しかし、我が身を守るために身勝手な行動をとってしまった。水深がわからないところに足を突っ込むのは怖いが、お会いした方々のお話を総合するとせいぜい膝までだったと思われる。いくら高山とはいえ真夏なのだから、下半身が濡れても夜間でなければ低体温症になる可能性は低いだろう。ぬかるみに足をとられる可能性もあるが、そこまでして避けなければならないほど怖い水たまりではなかったように思える。それに、他の生き物たちを傷つけてまで生き延びるほどの価値が私にはない。少なくとも私は死んだら死んだで仕方がなかったのではないか。あちらこちらで骨折や死亡事故があったと知って、ますます無事だった自分は一生責められるべきだと思った。しかし、その一方で、この幸運を素直に喜んでしまう。しかも、反省はどこへやら、また行く気満々で新しい登山用ズボンを購入する始末。お前なんか死んじまえ!掟を破ってまで守った足は、たまに間違えてくるぶしまで水の中に突っ込んでしまったが、登山靴のおかげで濡れることはなかった。濡れてしまった家族のほうは足の裏や指に大きな水ぶくれができ、皮膚がめくれあがってしまった。家族は何年も履いていなかった靴を履いて行ったためである。履きなれた靴で行かないとえらいめに遭う。私の靴は驚くほどよく頑張ってくれたが、もう限界がきてしまった。行く前はなんともなかったのだが、帰宅後、靴底の泥を落としていると(これをしないと、付着した種などを別の山に持ち込むことになり、生態系を壊すおそれがある)、一部がはがれかけていた。年に一度しか履かないので、登山靴第一号のこいつは長持ちしてくれた。こんな生きるに値しない生き物の足を守って力尽きたのだと思うといとおしくなり、靴紐だけはとっておくことにした。単なる予備ではない。お守り兼、忘却防止である。今回のような暴挙に二度と出ないよう、こいつを見て忘れないようにしたい。もっとも、二度と山には行かなければいい、いや、行くべきではないのだが。人間が山に行けば、どうしても山が傷むことになる。本当の山好きは山には行かない、いや、行きたくても行けないのかもしれない。山に行くと里帰りをしたような気分になり、100歳まで生きられると勘違いしてしまう私は完全な「えせ山好き」である。長々とこんなくだらない文章を書いた1年後には、やはり山に行っているのだろう。ずいぶん後味が悪くなってしまったが、盆休みネタはこれでおしまい。