母校の大学祭に行って参りました。
一昨日のN・Sの一件があったらというわけではなく先日来4日に行こうと決めてました。
24年前大学祭の実行委員をふとしたことで、参加することとなり、
いきなり訳もわからず担当させられて始めたステージが今も続いているようです。
当時学生の関心が薄く、何とか学生に大学祭に目を向かせようとして始めた企画が
昼間のステージだったのです。
(その頃ステージといえば近隣の大学も音楽のミニステージはあったはずですが、)
広島地方で昼間からフィーリングカップル5VS5や、軽音や落研の企画物として
ステージを本格化させたのは昭和57年の大学祭です。
また、当時画期的に始めたのが地域密着をテーマとした写生大会。
消防車をキャンパス内に用意したためか近隣の幼稚園保育園から
2~300人の園児が、学内に来ました。これが写生大会が始まりです。
(これも何校か同じように後に始めたようです。)
これはとても学校側にも好評で、お褒めいただいた記憶があります。
翌年、工大祭のメイン、当夜祭の担当となり、記録的な来場者数だったらしく、
会場で身動きできないくらいの状況で少し怖くなった事をよく覚えています。
そして、23年来変わってないのがこのジャンパーです。
超ベタなのですが、このバックの刺繍は当時のメンバーで考え今も受け継がれています。
他の大学は年々おしゃれなジャンパーに代わっているようですが、
広島工業大学祭メンバーは、この超ベタでレトロなサテン地のジャンパーを
今も着てくれている様です。まぁ、これには少し感慨深いものがありましたね。
(ジャンパーの着てる彼の向こうのステージ上は、結構有名なアイドルですが、大人の事情 笑)
田舎の大学祭で都市部の方から見ると、笑われるかもしれませんが、
今も昔も大学祭実行委員会のメンバーは、大学祭をいかに盛り上げようかと
がんばってくれています。