カテゴリ:思想
戦争責任を問うことは大事である。 どこで誰が間違ってあんな結果になったのか、そこに至る判断の一つ一つが 検証されなければならない。数百万の日本の死者、数千万のアジアの死者に 対する責任は史実を辿り直すことによってしか償えない。 その一方、恥辱の思いをどう扱って我々は今に至ったのか、それを考えるこ とも必要ではないか。 若い論客が卓見を述べている。『永続敗戦論』(太田出版)で白井聡は、日本 人は「敗戦」をなかったことにして「終戦」だけで歴史を作ってきたと言う。 強いアメリカにはひたすら服従、弱い中国と韓国・北朝鮮に対しては強気で 押し切る。彼が言う「永続敗戦」は戦後の歴史をうまく説明している。 経済力の支えを失った今、われわれはやっと事態を直視できるようになった 原点に返ってみよう。大野晋の『古典基礎語辞典』は「はぢ ハジ ≪恥≫名」を 「自己の能力・視運・地位・経済状況・勝負・男女関係などにおいて劣ってい ることや失敗などを他者に知られることで生じる、名誉を喪失したと思う気持ち やその行為。また、その保つべき名誉を重んじる心。廉恥心」と定義する。 ここに言う「保つべき名誉」を我々は回避してしまった。 アメリカに負けたのは歴然としている。原爆投下はその象徴であった。 だが、中国にだって負けたのだ。あれだけ長い間(十五年戦争という呼び方がある ほど)戦って、最後には追い出された。 罪は検証可能だ。古代の日本人は罪を汚れとみなして禊ぎによって無にできるとし た(たとえば『六月晦大祓』の祝詞)。しかし恥は洗い流せない。個々に負って生 きていくしかない。 昭和天皇も、国民も。また戦争をやって勝てばいいのだろうが。まさかね。 名誉を重んじるとはやせ我慢をすることである。 なぜそれができなかったのだろう? 福島第一の崩壊は東京電力という会社にとって究極の恥であったはずだ。 しかし東電はもちろん、一蓮托生でやってきた財界も自民党も恬然として恥じるこ とを知らない。今から原発を海外に売るのは真珠湾の作戦計画を売るようなものだ。 当初は勝っているように見えても最後には放射性廃棄物の山に埋もれて負ける。 これからの衰退の中で名誉ある敗北を認めることができるだろうか。 安倍政権のふるまいと選挙の結果を見て思うのは、我々があまりにも欺瞞に慣れて しまったということである。 (朝日新聞8月6日「終わりと始まり」池澤夏樹) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年08月24日 19時15分52秒
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