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母はとある膠原病と診断されていました。(診断がついたのは今年の6月です)
膠原病というのは、はっきりした原因も治療法も確立されていないようなので、 完治はしないのだろうな、ずっと病気と付き合っていくのだろうなとは思っていました。 でも、家でテレビ見たり一緒にご飯を食べたり等、どこかへ遠出をすることは難しくても 家の中でのんびり過ごす分には大丈夫だろうと考えていました。 実際、体調がおかしいと言いだしたのは冬頃からだったのですが、 診断がついてからしばらくは通院回数も減り、(それ以前は検査、検査~で週2回くらい通院でした) 辛い症状を抑える薬を処方してもらっていましたし、悪いなりに気分良く過ごせていたようです。 8月半ばに血球貪食症候群という病気を発症して、入院しました。 やはりこれも患者数の少ない珍しい病気のようです。 膠原病のように免疫系にストレスがかかっていると発症するらしいです。 血液中の赤血球、白血球、血小板がどんどん減ってしまう病気です。 すぐに適切に処置していただいたので一週間くらいで回復して、 病気になってからとっても食が細くなってしまった母が病院食を完食できるようになり、 病室内なら歩けるようになるまでになったのですが、 9月7日、同じ症状が再燃しました。 一時、心肺機能が停止したそうです。 医師の目の前だったのですぐに蘇生していただけましたが、この日から集中治療室へ。 次の日、意識が戻っていました。 人工呼吸器が付けられていて会話はできませんでしたが、手を握り返してくれました。 その次の日は、筆談ができました。3センテンスだけ。 なかなか解読できなくて疲れさせてしまいました。 なんでもない会話でしたが、なんだかほっとしました。 集中治療室は午前と午後にそれぞれ30分ずつと面会時間が決められています。 平日も勤務時間を調整して、なるべく行けるだけ行きました。 9月11日、一時的に人工呼吸器が外されたので、会話ができたのですが、 私たちの顔を見るなりの第一声が「お父さんだけでいいわ」でした。 私と現在東京で働いている弟と3人で面会に行ったのですが、 ガサガサの声で途切れ途切れに言う台詞が「3人もこんでいいわ。邪魔。」 ベッドを囲む私たちが医師や看護士の方の仕事の邪魔になるから、 大勢で来るなという意味らしいです。 言われてることは「ひど~い」のですが、周りに気を使うところが母らしくて、 はっきりと意識、意思があったので、ちょっと安心したし、うれしかったです。 他にも冗談というかお茶目なことを言ったんですよ。ガサガサ声ですけど。 邪魔と言われた時にはその場に主治医の先生がいらしたので、 「今の時間はご家族の方と一緒に過ごす時間ですから、、、邪魔じゃないですよ~」 と言ってくださいました。 主治医の先生は良い人でした。まじめそうで穏やかな話し方をする人。 人工呼吸器で呼吸の補助をした方が体への負担は少ないからとのことで、 また呼吸器をつけることになり、 そして、やはり体を休ませるためにと眠るための薬を使っていたので、 ずっと面会時間は寝顔を見に行くだけでしたが、顔色も良かったし呼吸も安らかだったので、 容態は安定したのかな、そのうち普通病棟へ戻れるのかなと思い始め、 弟も東京に戻る日を検討し始めた頃でした。 9月18日、また血球貪食症候群が再燃してしまいました。 朝、先生から電話がかかってきて、午前中の面会時間のあとにお話しましょうと約束をして、 お話を聞いたのですが、何を言われたかよく覚えていません。 たしか、血球貪食症候群を抑えるためには強い薬を使うのだけど、 その薬がもう使えない(効かない)だったかなぁ。 先にも書いたように、集中治療室は家族が病室にいていい時間が決められているのですが、 ずっとついていてもよいと言われました。弱っていく母をただ見つめるだけでしたが。 モニターで母の体の状態を数字とグラフで示されているのが見えるのですが、 その数字がどんどん悪くなっていくわけです。 機械にはそんな値は異常事態であるとセットされているので、律儀にアラームが鳴って。 その音が母が亡くなってからも、しばらく耳についていました。 日付が変わってしばらくして、とうとう脈拍を示す数字がゼロになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年10月18日 00時33分06秒
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