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カテゴリ:城跡
「亀城公園」は「土浦城祉」の本丸跡を公園化したものです。
現在は埋め立てられて開発されていますが、本来は五重の水掘を巡らせた大規模な城だったそうです。 「西櫓」 昭和24年の台風で倒壊したのを復元修理されたようです。 解説板 その前の広場が「本丸」跡 土塁に囲まれてます 「本丸跡」の石柱 その外には水掘が残っています。 「霞門」 「東櫓」の解説板 こっちは「東櫓」 こちらは復元建築された物で昔と同じ形態だそうです。 土塁と塀 「太鼓門」も現存する城郭建築遺構 櫓門は江戸時代前期の建物としては関東地方唯一のもので「土浦城跡」の象徴。 もともと本丸の楼門であったものを、明暦2(1656)年、五代藩主朽木稙綱が櫓門に改築したもので、2階に大太鼓を置き時刻を知らせたことから、別名、太鼓櫓ともいわれる。この太鼓は現在土浦市立博物館にて展示されているとか。 入り母屋造りで両側に切石石台をもつ二層の櫓門。 「二の丸」側からみた「太鼓門」 県指定文化財 控柱 門扉 「史跡土浦城祉」の石碑 「本丸跡」は静かでのんびり休憩所的で「二の丸跡」は遊具もあって開けて明るいので、公園としてはメインでにぎやか。 水掘 石垣は近年の物のようです。 「前川口門」の外にある「外丸跡」の石柱 二ノ丸門の位置に移築された「前川口門」の高麗門 文久2(1862)年建造 一時土浦町役場の門に移され、さらに大正9(1920)年等覚寺(大手町)の山門として移築され、近年現在地に移築 市指定文化財っす 解説板 「大手門の跡」は公園外 「土浦幼稚園」の前に跡地石碑だけっす。 市指定文化財 史跡 当時は十二間(約21.6m)四方の二重の土塁と堀をめぐらした内枡形であり、外側が単層の門、内側が二層の櫓門という造りであった。 元和8(1622)年に設置され、明治6(1873)年土浦城の廃城とともに撤去されたようです。 「神龍寺」近くの「三の丸跡」石柱「郁文館」正門 歩道橋渡って内側から 城内の二の丸にあったが、天保10(1839)年現在地へ新築移転 明治4年廃藩置県とともに廃館となり、「英学校化成館」・「新治師範学校」・「茨城師範土浦分校」・「県立第二中学校」・「新治第二高等小学校」・「土浦高等小学校」・「土浦尋常高等小学校」仮校舎として使用され、昭和10年取り壊されるまで残っていた。現在は「土浦第一中学校」地東隅に正門のみ残ってます。 門扉 「土浦第一中学校」表札 他にもあちこち民家、寺院、墓地等に城跡遺構は残ってるそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.01.13 19:37:14
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