ゲミュートリッヒな暮らし~Seit 2005

2019/05/19(日)20:55

乗るなら九州新幹線の2列+2列シートの指定席に限る

魅惑の「鉄」(34)

4月28日の早朝、サンライズ出雲が岡山に到着した。そこで降りて新幹線ホームへ上がったら、えらい混雑している。乗り継ぐ予定の新幹線は、6時51分発みずほ601号鹿児島中央行き。九州新幹線の車両である。サンライズ出雲が定刻どおり着かない可能性を考え、指定席は取らなかった。だから自由席となるのだが、ホームは列車を待つ人で長蛇の列。そこへやって来た列車も超満員だ。果たして乗れるのか?という感じだが、東京の通勤電車はいつもこんなもんでしょ的な感覚で無理に体をねじ込んで乗る。デッキのドアに押し付けられてる感じである。さて、次の広島駅まで34分なのだが、同じ姿勢で突っ立っているのは案外苦痛だ。列車は猛スピードだから、何駅を通過しているのか景色で推定するしかない。福山通運の建物が目立ち始め、農家の瓦屋根が赤茶けた色ばかりになれば、いよいよ広島へ来た!という雰囲気である。 呉線の227系電車 広島駅へ到着、ドアが開いたら圧力で外へ放り出された。そしてホームは大混雑である。駅のコインロッカーで大きな荷物を預け、我々は在来線の呉行列車へ乗り換え。広島を発着する列車はどれも都会的な新型電車になっていた。あのセンスのかけらも無い黄色い電車は見当たらない。どの電車も赤いラインが特徴的で、まるでカープ、カープ、カープひろっしまっ・・・だよね。227系はクロスシート車なので、ここでやっと朝ご飯(菓子パン)を口に出来た。電車は瀬戸内の海岸沿いを呉へ向かう。大小無数の島々が浮かび、その隙間を船が行き交う光景は正に瀬戸内海だ。 大和ミュージアムの戦艦大和 呉では、大和ミュージアムやてつのくじら館などを見学、合間に湾内の観光船に乗ることも出来た。大急ぎの観光だったが、それなりに充実。  詳細はのリンクから。 呉から広島駅に戻り、そこから広電で原爆ドーム前へ   さつきの花がよく咲いており、荒涼とした負の世界遺産と不思議な対照を成す。それよりも不思議な対照だと思ったのは、広島市内と呉市内の雰囲気の違いだ。これが同じ県内でわずか20キロに隣接する都市とは思えない。確かに大和ミュージアムも平和を祈念してはいる。海上自衛官だって誰も戦争を欲していないだろう。いや、今日の広島市民が平和に暮らせるのも、実はアメリカの核の傘があり、自衛隊の防衛実務によって外交上の均衡を実現しているからであり、そのような現実を認識するなら呉市内を見学するのは無意味ではない。  さて、平和資料館がリニュアルしたというので、資料館に行ってみたら、入口で長い行列を作っている。帰りの新幹線を意識せざるを得なかった。館内は大変な混雑だ。警備員が立ち止まらないでくださいと呼びかける。人波に押されながらの見学となった。前に訪問した際は、東館が閉鎖されていて、被爆前の市内ジオラマが見られなかったが、今度はジオラマのたぐいは全て無くなっている。有名な被災者の様子を表現したジオラマも撤去されたのはニュースになった。作り物を極力排し、写真や実物展示を重視する意図は理解できるが、結局なんだったのか分からなくなることは無いのか。被爆者の遺品は説得力があるが、昨日どこかで起きた火事で亡くなった方の遺品だって悲惨であり、程度の差が分からない人もいるだろう。そういえば、拙者の年代は小学生の時分、原爆を理解する手始めとしてはだしのゲンの映画を見させられて見事トラウマになった。史実に誤りが多いとされながら、作り物でも意味は十二分に伝わっていたのだ。あのマンガも図書館から追放されかけてるそうで、かと言ってあのマンガを超えるモノって他にあるのか? 原爆ドームの横に最近建ったらしい、素晴らしい展望台付ビルに観光客がごった返しているのを横目に見ながら、再び広電に乗って引き揚げるとする。広島駅で新大阪行きの新幹線(みずほ何号か忘れた)に乗ったが、ここはきっちり指定席を取っていたので大丈夫。九州新幹線の指定席が2列+2列であることを知った。これは素晴らしい!随所に木目調の装飾がなされ、グリーン車並みの豪華さなのだ。山陽新幹線区間は九州新幹線の車両に乗った方がいいみたい。ただし指定席でね。

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