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2018.08.08
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都小山台野球班は「「赤とんぼ」が見守っている。

ピンチになると、マウンド上やベンチ円陣でみんなで天を見上げることがあります。



http://number.bunshun.jp/articles/-/831517

「エレベータ事故」のことはイラン・テヘランで知った。

2006年6月…野球班関係者からのメールや応援ホームページに投稿が異常に増え、電話が入り「たいへんなことが起こっている」と。

何日も事態がつかめなかった。

その後10年以上、社会面でも多く報道があった。

ただただ、一貫して加害企業の醜さだけが浮き出た事件。

2006年・夏の大会前に、無念にも事故に巻き込まれた子は2年生でレギュラーだった。

監督先生の方針で、夏のメンバーは選手間投票で決めることになっている。

被害を受けた子の同期生が3年になった時、夏のメンバーに下級生、特に1年生をたくさん選んだ。

これは…組織や職場で、自己保身や組織護持を考える集団では、できない。

3年生が意図を持てば「最後の夏」には、頑張った自分や同期をベンチに送り込める。

(一部は「監督枠」があると聞いている)

2007年・3年生の代が立派だった。

「彼を甲子園に連れて行ってあげるためには…勝ち進むためには…自分が出たらダメ、センスのある下級生に譲るべき」…この判断には「自分の弱さ」と正面から向き合わないといけない。葛藤と勇気が必要だ。

「1票」に自分や同期以外の名前を書くことの残酷さ…これは当時の自分にできた自信がない。

この時、小山台は本当の本気で甲子園を見据えたと思う。

その時に選ばれた子たちが、1年夏・秋、2年夏・秋と経験を積んで、3年春・2009年の東西合同の東京大会でベスト4へ進んでいる。

2008年秋の大会で既に選抜された64校による春の本戦で、都足立新田・八王子・桜美林・修徳を連破している。

準決勝で立ちはだかったのは帝京、優勝は日大三。

2009年の小山台は、専任と、野手兼任で投手5枚。

先発がゲームメークすると、後半は日替わりで中継ぎ・抑えを投入、私立強豪と打ち合っても勝てるような、華のあるチームになった。

投手が5枚あると、仮に1回戦から決勝まで8戦あっても対応できるチーム作り。

2006年以降、報道も多く、2009年春夏の快進撃を見て「小山台で野球がしたい」という子たちが、スポーツ枠はないので、勉強も頑張って入学してくれるようになっている。

2014年センバツ21世紀枠…これは志半ばで不慮の事故で逝った先輩と一緒に行く甲子園であり、8年めに入って進展のない「事件」を風化させないための甲子園だったと思う。

後者について、母校関係者から加害企業への恨み節は、大会期間中にしていなかったと思うが、報道が遡って脚光を当てたことで目的を果たしている。

今年の東東京準優勝のルーツ…諸説あると思うが、ぼくは事故翌年の2007年…「被害者同期が3年生になった時のリーダーシップだった」と考えている。






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最終更新日  2018.08.08 02:45:39



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