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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
名古屋駅前の名物巨大人形「ナナちゃん人形」が水着になっていた。
初夏を通りこして、商戦は夏なんだなぁ。としみじみした。 レッスンを淡々と受ける。前ほど熱心でもなく、淡々と。 生徒もそれなりに受け、講師の方も余裕が無いのか、 カリキュラムを淡々とやるって感じか。 各それぞれの生徒に対して何か言うでもなし、 流れ作業的にレッスンは進み、時間が過ぎていく。 これで本当にレベルアップしたのか?て基準が分からない。 マンツーマンか2人で受けていた頃は、ある意味牧歌的で 講師も、生徒もそれぞれの個性があり、余裕もあったのだが。 ・・・などと云っても、もはや潰れてしまった教室。 過去のことを彼是と云っても仕方の無い事実。 今はそれを納得しない限り、次へは進めないのだから、 それはそれと割り切らない限り仕方がないね。 そうそう、夏の扉と言えば松田聖子。 (30代後半以上の方ならすぐ分かる) 私は男であるので聖子ちゃんカットも出来ないし、 (テクノカットはしたぞ) とりわけファンでもなかったが、大学教授が松田聖子のファンだってこと を鮮明に覚えている。今では聖子と云えば、「渡る世間は鬼ばかり」の方を 思い出してしまうが。。。 でも、その大学教授のゼミというのは、女子学生が非常に多く、9割くらいは女子では 無かっただろうか。大抵はお嬢が多かったので、一般ピープルな自分には、 誰も振り向いてもくれなかったが、その前にバイトやら何やら忙しかったことは 事実であり、その前に自分自身「オタク」であったことが何より「イタイ」事実だ。 そうは云っても、ホンのたまに(1年に1回くらいの確率で)ゼミでカッコイイことを 言ったりしたら、それなりにモテたのだが、今に至るや遥かなる良き思い出でしか「ありえなーい」と、日曜午前8時30分頃からやっている、ちょっと今風のギャルと、おとなしい風なギャルが敵と戦うアニメを想起したりして・・・ 何を言っているのやら、てんで分からなくなってしまったが、いずれにせよ、 体調が悪いと行って、外に出ていなかったら、いつの間にか初夏が来ようとしている 事実に、一休僧正の「正月は目出度いものではない、死に近づいているのに何が目出度いのだ」とあのアニメ調で訴える姿をダブらせて、俺ももうちょっとしたら40なのだな。 30の時のメモリアルはこれとこれだったが、40の時のメモリアルは何だろうと 複雑な心境になったりもする。ところで、新右衛門殿はあの時、一休殿の近くに居たのだろうか それとも、やんちゃ姫か殿の相手でもしていたのであろうか。 閑話休題。自分は携帯端末オタクである。特に電池で動く携帯端末がお気に入りである。 なぜなら、電池切れでも、どこかのコンビニに行けば間に合うし、何よりも2本くらいの電池で 30時間やら50時間くらい持ってしまうのが、めっちゃ凄いので感動してしまうのである。 もちろん、総天然色のWebなどは出来ず、モノクロ画面なのであるが、スケジュールを書いたり、 メモしたり、文章を書いたり、プログラムを書いたり、コンパイルしたりなどといったことに、 色を使う必要も無く、それゆえモノクロ画面でも一向に構わないのである。 昔かったエディタである、DOS/V用のVZエディタと、マクロ集、図書館から借りてきたマクロ集「続VZ天国」を使って、物カキ環境を構築しようと思ったのだが、図書館から借りてきた本に付属するフロッピーディスクが読めない。モードが違うのかと思いながら色々試してみるのであるがやはり読めず。フロッピーの劣化かいたずらか、こういう公共のモノというのは、大概いたずらされているものであり、あきらめざるを得ない。以前も執拗に誤植を直している本があったが、そんなのはとてもカワイイ部類に入る。例えばCPU(MPU)の型番、モトローラの6809を68009などと誤植があったら680*9などと黒塗りで潰してあって、そういう誤植をひたすら潰してある姿には、天晴れというか執拗というか訳が分からなかったりもする。でも、そういうところがあって公共のモノなのであるなと思ったりもする。 とりあえず、必要なVZのマクロはWebからも含めて、すべて揃えたので、時間を見つけては自分の使いやすい文章作成マシーンとして構築していこうと思う、春うららなときであった。 読みづらくてほんと、すみません。 なんだか、スタパ齋藤氏が憑依したかのような文体になってしまったでゴワス。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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