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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
上掲の言葉は、ベニー松山が書いた、
ファンタジー小説のタイトルである。 厳密に言えば、RPGにウィザードリィというのがあるが、 それのノベライズ小説である。 「灰」とは、ウィザードリィにおける、 死への一歩前の状態を指す。 モンスターに殺された状態だと、完全に死んだとは言えず、 地上に引き上げ、カント寺院で蘇生できたら、 再びダンジョンに向かうことが出来るが、 蘇生に失敗したときに、「灰」の状態になる。 それでも、カント寺院にさらなるお金を積めば、 もう一度だけ蘇生の呪文を唱えてもらえるが、 それに失敗したら、本当にロスト、つまり死に至るのである。 つまり何が言いたかったかと言えば、 人間はいつも死と隣り合わせに生きているのである。 当たり前すぎて、言うのも恥ずかしいのであるが、 誰でもいずれかは死ぬのだ。 ただ、それに気がつかないだけ、いや、気づきたくないだけかも知れない。 でも、アニメの一休さんでも、「正月だと言って何が目出度いのだ、それぞれに死が近づいているのに」と警告していた。 辛気臭い話だが、それも真実。 だからって、別に金が貰えるわけでもないし、 そんな下らない話をするくらいならば、仕事をしろといわれるのは至極御もっとも。 家内に働かせて申し訳なくないのか?といわれたら、そのとおりである。 本当に下らない。生産性がまるでない。 でも、そんな下らないことに「いやに拘っている自分」がここに居ることも事実なのだ。 今日は1週間ぶりくらいに英会話に行った。 まだ本調子ではないので3時間くらいと思っていたが、 やっぱり英語の脳みそにするには、まだしんどい。 っていうか、3時間でアップアップの状態だった。 これ以上やっていると頭がパンクすると思い、 早々と家に帰ってきた。 そこで、自分がこれまでは当たり前に感じていたことなのに、 すごく気になり、疑問を感じてしまったことわざがある。 「時は金なり」である。 時間は過ぎ去っていくもの、だから大切にしなさいってのは、とっても分かる。 でも、「時間」って何??「金=価値」って何??って考え込んでしまったのだ。 時間ってのは、一般的に行ったら、砂時計とか腕時計で、時を刻むもの。 でも、本当は目には見えないもの。じゃあ、時間ってどうやって分かるの?? そもそも、時間って相対的な基準かも知れないけれど、 人間それぞれで、時間の単位や考え方って違うようにも思える。 どこかの新書で「ゾウの時間、ネズミの時間」って感じのタイトルの本があったが、 動物それぞれに一生の鼓動回数は異なるため、それぞれに対して時間が存在するってのもある。 人それぞれに、それぞれの生き方があるのならば、時間という概念だって、人それぞれ違うよな。カントの時間論もそんな記載があったような気がする。。。 同じように価値も人それぞれに違うしなぁ。。。。必ずしも金持ちが幸せとは言えないしなぁ。。。などと色々と下らないことを考えてしまうのである。 そして、今俺が生きていることも下らないのでは。。。と下らないことを考えたりもしてしまうのだ。生産性の無い今の俺の状態に対して。 自虐的、あまりに自虐的な俺。くそったれ。 考えれば考えるほど、迷宮にはまる。そして下らない。 でも、遮二無二働くことが、善なのか?当然のことなのか? かといえ、まったく働かないことが良いかといえば、それも否である。 人間何もしないと発狂するだろう。自分だったら、そうなっている。 訳が分からなくなる。益々馬鹿になる。 そんなこと考えないで働け。そのとおり。 俺も働きたい。食うために、生きるために働きたい。 会社のためでもなく、まずは俺とカミサンが生活するために働きたい。 そこから先の金は考えていないけれど、最低限の生活でいいから、働かなければ。 語学、政治学、経済学、哲学・・・色々なことを学んでいる。 仕事出来ないときに、勉強しているが、ほとんどがただの教養に落ち、 仕事に活かせるのかと言うとそうでもなかったりする。 まぁ、英語はプログラミングのヘルプを見る、Webを見るくらいは役に立つかも知れないが・・・ そんなことよりも、昨日炊いていて、ジャーから保存し忘れた、 ご飯のことをもっと悔やめ。2合以上も腐らせてしまった。。。 汗水たらしてお義父さん、お義母さんらが作ってくれた貴重なお米のほうが 俺の下らない夢想よりもはるかに大事だ。 そしてお天道様にも感謝しなければいけないのに・・・ 泣きながら、米を研ぐ、馬鹿な俺。 本当に俺の隣にはいつでも死がある。 しかし、死を自ら選びたくはない。 意地汚くとも、1秒でも生きていたい、賤しい人間であるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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