連休と言えば、憲法記念日とかあるが、やはり、こどもの日である。
こどもの日と言えば、柏餅。
というか、食い気は別にしておいて・・
やはり鯉のぼりと兜のお飾りだろう。
私の住むマンションも、昔はベランダにいくつか鯉のぼりが出ていたが、最近は近所の子供たちも大きくなったせいか、それらが飾られることが少なくなってきたようである。
もちろん、私の部屋にはそんなものは出ていないし・・
自分の子供の頃は、ベランダ用の鯉のぼりという器用なものがなくて・・というか、ベランダなんていう洒落たもんがあるところに住んでいなかったんだが・・
鯉のぼりを飾る家は、庭のあるお金持ちのものがほとんどであった。
しかし例外もあった。
私の子供の時代は、いわゆる「掘建て小屋」という、今のホームレスが住んでいるような段ボール・ブルーシートの家が、もう少し高級になったような家に住んでいる家族もざらだった。むしろ、普通のアパート住まいの我が家より、広かったようである。
そして、そういうところに住んでいる子供の家の方が鯉のぼりが飾られることが多かった。
それは、買ったのか拾ったのかわからないけど、結構立派な鯉のぼりを、勝手に、空き地に立ててしまって揚げているケースであった。
しかし、そんなことを不自然に思わなかった子供時代だから、端午の節句の季節になると、みんなでその子の家に遊びにいって、「いいなー、いいなー」の連発。
家はおんぼろでも、鯉のぼりは立派に風に泳いでいる。
さぞかしや、そういうときに人気者になれた子は鼻高々、うれしかったんだろうな、と思う。
でもって、うらやましさ満杯で家に帰ると、まず私が親に向かっていうことは「うちに鯉のぼりないのー!!」という文句だった。
「あるよ、うちには、ものすごく大きいのが」
「出さないのー」
アパート住まいだったから当然そんなことはできないのに、無理を言う私であった。
本当は、そんな鯉のぼりはないんだろうと高を括り始めた私に、ある年、親が急に「鯉のぼりを出してみようか」と言った。
「え?ホントにあるの?」
と、親が押し入れの上にある棚から、出した鯉のぼりは、本当に近所の鯉のぼりよりかなり大きい立派なものだった。
でかすぎて部屋では全部広げられなかったものである。
「おおおおおおーー、すげえーーー」
本当に、飾られないのがもったいないくらいに立派な鯉のぼり。
実は、私が生まれたところでは、アパートと言っても長屋みたいなもんだったので、近所の人の好意もあって、むりやり飾っていたらしいのだが、普通の文化アパート住まいになって、押し入れの奥に眠ってしまったのである。
しかし、その鯉のぼりに負けないくらい立派な兜が、毎年、私の家には飾られた。
ガラスケースに収まった、刀と小さな鯉のぼりを従えた、確か楠木正成の兜じゃなかったろうか。この兜の形が一番兜らしくて定番だったのだろうか。
今じゃ、秀吉とかの癖のあるデザインもあるようだが、まあ、このかたちがいちばん「らしかった」のである。
家といっても、アパートの部屋だから、小型のテレビよりも大きいくらいの、そんな立派なものを飾ると、部屋が狭くなるのなんのって・・
まあ、それでも、親はきちんと端午の節句には、兜飾りを出していてくれていたのである。
兜の手前に飾られる、小さな鯉のぼりが、毎年飾られる我が家の鯉のぼりだった。
一人暮らしを始めるときに、家の荷物の整理をした。
親が、兜と鯉のぼりはどうする?
と聞いてきたが、持っていけないし、邪魔なら捨てるしかないかな、という結論に達した。
ま、将来子供ができたときには自分で買うよ、といったものの、あとで、人形屋さんでうちにあったクラスのものが数十万円だったことを知り愕然とした。
まあ、それを飾るチャンスは結局なかったんだろうけど、後になって思うと惜しいことをしたという気持ちもある。
(実はそのとき一番後悔しているのは、前にも書いたと思うが、GIジョーの人形を捨ててしまったことである)
親は、兜や鯉のぼりを飾って、子供の成長を祈るが、そんな気持ちが届くのは、ずいぶん後になってからのことであった。