愛している 第一話「さぁ千鶴お嬢様、そろそろ時間ですよ。」「嫌です。」 その日は、千鶴の祝言の日だった。 彼女は、家同士の利害関係が一致したというだけで、一度も顔を合わせた事がない相手と結婚する事になっていた―筈だった。 「お願いです、わたしをここから連れ去って下さい!」 「千鶴様・・」 土方歳三は、少し困ったような顔をしながら、千鶴を見た。 「ずっと、あなたの事をお慕い申し上げておりました。」 「お嬢様・・」 「わたしは、家の為に犠牲になりたくないのです!」 「逃げましょう。」 思わず、歳三は千鶴の手を取ってしまった。 「本当に、よろしいのですか?」 「はい、あなたと一緒なら・・」 こうして、千鶴は歳三と共に家を飛び出し、夫婦となった。 華族令嬢と、その家の書生との駆け落ちは、新聞に大々的に報じられた。 はじめは二人の恋を女学生達が“ロマンス”だと言って盛り上がり、二人をモデルにした小説まで出版されたが、やがて二人の恋は世間の人々から忘れ去られていった。 「いらっしゃいませ!」 「姉ちゃん、いつものやつね!」 「はい。」 海辺の田舎町で、千鶴は食堂で汗水垂らしながら働いていた。 歳三と駆け落ち同然に結婚したもの、現実は厳しかった。 「へぇ、東京から来なすったのかい。悪いけど、うちはもう人手が足りてるんだ、他を当たってくんな。」 「はい・・」 何件か断られた末に漸く決まったのが、今の職場だった。 「千鶴ちゃん、これ旦那さんに。」 「ありがとうございます。」 同僚の小母さんから千鶴が貰ったのは、懐紙に包まれたシベリヤだった。 「旦那さん、早く風邪が治るといいね。」 「はい・・」 歳三は、病弱でありながらも無理をして働いた所為で、結核に罹り、長い間床に臥せっていた。 「只今帰りました。」 「お帰り。」 「今日は、体調が良さそうですね?」 「あぁ・・」 「今日は、隣の家の小母さんからシベリヤを頂きましたよ。」 「二人で食べよう。」 「お茶、淹れますね。」 千鶴は涙を堪えながら、台所で茶を淹れた。 『ご主人はもう長くかもしれません。早くも一ヶ月、長くても三ヶ月しかもたないでしょう。』 「なぁ千鶴、これを食べた後、行きたい所があるんだが・・」 「行きたい所、ですか?」 「あぁ。」 歳三が千鶴を連れて行った所は、呉服屋だった。 「ようこそいらっしゃいました。さ、こちらへ。」 店主に案内されたのは、店主とその家族が住む離れだった。 そこには、白無垢が衣紋掛けに掛かっていた。 「さぁさ、奥様はこちらへ。」 「え、あの・・」 一時間後、羽織袴姿の歳三は、美しく化粧をされた花嫁姿の千鶴を見て思わずため息を吐いた。 「美しい・・」 「さぁ、お二人とも、行きましょうか?」 「はい・・」 二人が呉服屋の店主らと共に向かった所は、呉服屋の向かい側にある写真館だった。 「どうして、こんな・・」 「今まで一度も二人で写真を撮った事がなかっただろう?だから、最後に撮っておきたいと思ってな。」 「あなた・・」 「そんな顔をするな。」 「はい・・」 歳三は自分の死期を悟っていた。 だから、今まで苦労をかけてきた妻に白無垢を着せてやりたかったのだ。 「はい、撮りますよ。」 この時撮った二人の結婚写真が、彼らにとって最初で最後の写真となった。 「今日は、素晴らしい思い出をありがとうございました。」 「礼を言われる事はしてねぇよ。」 帰りに寄った洋食屋で、ライスカレーを食べながら、歳三は妻と過ごす残り僅かな時間を楽しんだ。 ―奥さん、お可哀想に・・ ―お子さん、いらっしゃらなかったのでしょう? ―他に身内も居られないようですし、お子さんも・・ 歳三の葬儀を手伝ってくれた近所の主婦達の囁きが、仏間の襖を閉めても否応なしに聞こえて来た。 (あなた、どうかわたしを守ってください・・) 千鶴は、歳三の形見であるロザリオを握り締めると、涙を流した。 桜の季節に歳三が逝き、瞬く間に厳しく長い冬がやって来た。 東京と比べ、この地の冬の寒さは骨の髄まで凍えそうだ。 今までは共に人肌で温め合う夫が居たが、今年の冬は、千鶴にとって辛いものになった。 「良く降るね。」 「そうですね。」 その日、食堂は朝から降った大雪の所為で開店休業状態だった。 「気をつけて帰んなよ。」 「はい・・」 千鶴が寒さに震えながら帰宅し、家の中へ入ろうとした時、彼女は一人の少年が家の前に倒れている事に気づいた。 「ねぇ、大丈夫?」 「ち・・づ・・る・・」 少年は苦しそうに千鶴の名を呼ぶと、そのまま意識を失った。 彼は、歳三と瓜二つの顔をしていた。 (まさか、あの人が帰って来てくれたなんて・・) そんな事を思いながら、千鶴はその少年を放っておけず、彼を仏間に寝かせ、医者を呼んだ。 「う・・」 「大丈夫、あなたは独りじゃないからね。」 亡き夫と瓜二つの顔をした少年を家の前で保護した千鶴は、急いで風呂の用意をした。 「寒かったでしょう。火鉢の近くにいらっしゃい。」 「はい・・」 「今、着替えを持ってくるわね。」 千鶴は少年を居間に残すと、自分の寝室へと向かった。 「確か、ここに・・」 彼女は押し入れにしまってあった行李の中から、まだしつけ糸が解かれていない子供用の着物を取り出した。 畳紙の中に入れていたので、染みひとつない。 いつか、子供が生まれた時に仕立てておこうと思い、仕立てておいて良かった。 その子供が授かる前に、歳三は自分を残して逝ってしまったが。 「どうぞ。」 「ありがとうございます。」 「あなた、お名前は?」 「俺は・・」 “良いか、お前は別の名を妻に伝えよ。決して真名を伝えてはならぬぞ。” 歳三―今は少年として転生した彼は、千鶴から名を尋ねられた時、咄嗟にこう答えた。」 「隼人です・・」 「隼人君ね。お父さんやお母さんは?」 「いない・・」 「そう。今からご飯作るから、待っていてね。」 「手伝う。」 「え・・」 見知らぬ少年からそう言われ、千鶴は少し戸惑った。 「じゃぁ、お願いしようかしら?」 千鶴と共に台所に向かった歳三は、そこが、生前自分が見た時と余り変わっていない事に気づき、安堵した。 歳三は慣れた手つきで、米を炊いた。 「隼人君、凄いわね。」 「いつもやっていたから、慣れている。」 「そうなの。」 手際良く家事をこなす歳三の姿を、千鶴は興味深く見ていた。 「ねぇ隼人君、もし行くところがないのなら、一緒に暮らさない?」 「いいの?」 「いいに決まっているでしょう。」 「では、お世話になります。」 「これからよろしくね。」 夕飯の後、歳三は千鶴が用意してくれた部屋に布団を敷いて寝た。 夜中に眠れずにいると、廊下の向こうから千鶴の泣き声が聞こえて来たので、歳三はそっと彼女の寝室へと向かった。 すると、そこには布団の中ですすり泣く彼女の姿があった。 「歳三さん・・」 歳三は、そっと千鶴を抱き締めながら眠った。 「ん・・」 翌朝、千鶴が目を覚ますと、隣には何故かあの少年が眠っていた。 子供の体温は高くて、独りで寝る寂しさに耐えられた。 「おはよう、隼人君。」 「おはようございます。」 「ご飯、作ろうか?」 「はい。」 歳三と千鶴が朝食を台所で作っていると、外から人の声が聞こえて来た。 「千鶴さん、居るかい?」 「隼人君、少し火を見てくれないかしら?」 「はい・・」 「すぐ戻るわね。」 千鶴が台所から外へと出ると、そこには一人の青年の姿があった。 「土方千鶴さん、ですね?」 「はい。わたしに何かご用でしょうか?」 「これを。あなた宛の物です。」 「ありがとうございます。」 「では。」 青年は、そう言うと千鶴の前から去っていった。 彼が千鶴に届けたのは、とうに縁が切れた実家からの文だった。 “チチキトク、スグカエレ” (父様・・) 千鶴の脳裏に、家を出た時に交わした父との会話を思い出した。 “どうしても、行くのか?” “ごめんなさい、父様・・” “謝るのは、わたしの方だ。心から、愛する人をと幸せになりなさい。” そう言って自分を送り出してくれた父の笑顔を、千鶴は今でも思い出しては泣きそうになった。 「千鶴・・さん?」 「ごめんね隼人君・・」 「もしかして、それは実家から・・」 「どうして、それを?」 「浮かない顔をしていたから。」 「そう。」 「隼人君、あのね・・」 「実家に、帰りたいの?」 「え・・」 「ごめん、さっきお手紙を見てしまいました。お父さん、危篤なんですよね?」 「えぇ。でも、わたしはもう家を勘当された身。実家に戻る訳には・・」 「俺が一緒について行ってやる・・」 「そんな、何も関係がないあなたに・・」 「俺、千鶴・・さんに世話になっているから、関係ある。だから・・」 「そう。じゃぁ、一緒に行きましょう。」 「うん・・」 こうして、千鶴は隼人共に実家がある東京へと向かった。 「まだ東京まで着くには時間がかかるから、今の内に休んだ方がいいわ。」 「わかりました・・」 本州行きの船の中で、歳三は千鶴の隣で眠り始めた。 すると、彼は目を開けたらそこが“あの部屋”である事に気づいた。 「また会ったな、人の子よ。」 すぅっと、歳三の前に足音もなく現れたのは、美しい女だった。 「いつまであの女の傍に居るつもりだ?そなたの魂は転生を待つのみ。何故、あの女の元に居る?」 「俺にはまだ、やりたい事がある。」 「やりたい事だと?」 「あぁ。」 「良いだろう。」 女は口端を上げて笑うと、現れたのと同じように消えていった。 (何だったんだ、あの女は?) 「隼人君、起きて。」 「ん・・」 二人は船から降りると、汽車を何度も乗り換えて漸く東京に辿り着いたのは、数日後の事だった。 「ここよ。」 「ここが、千鶴さんの家?」 「ええ。」 白亜の瀟洒な邸宅の前に二人が立っていると、その中から一人の女中が彼らの元へやって来た。 「お帰りなさいませ、千鶴お嬢様。さぁ、どうぞこちらへ。」 女中はそう言うと、千鶴の隣に立っている歳三を見た。 「この子は、わたしの息子です。」 「まぁ・・」 千鶴の言葉を聞いた時、女中は鳩が豆鉄砲を食ったかのような顔をしていた。 「千鶴、来てくれたか・・」 「父様・・」 「その子は・・」 「わたしの息子です。」 「そうか。」 千鶴の父・綱道は、そう言うと嬉しそうに笑った。 「幸せになれて、良かった・・」 綱道は、そう言うと静かに息を引き取った。 父を見送った後、千鶴は親族に呼ばれた。 「え、再婚・・ですか?」 「そう。あなたはまだ若いし・・」 「そんな・・」 「あ、あなたに是非会いたいって人が居るのよ。」 「ちづる、だっこ~!」 「まぁ、急にどうしたの?」 「だっこ、だっこ~!」 急に甘えて来て己の膝上に乗って来た歳三に驚きながらも、千鶴は再婚を勧める親族に断り、その場から離れた。 「どうしたの、さっきは急に甘えて・・」 「あの婆さん、自分の息子とお前を結婚させるつもりだぜ。」 「え・・」 「安心しろ、お前は俺が守ってやるからな。」 そう言った隼人少年の顔に、千鶴は亡き夫のそれに重ねた。 (あなた・・あなたなの?) ジャンル別一覧
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