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サムエル記下1章を読んで思うこと。それは、「ダビデの嘆き、弔いの歌」について 。
この歌の中には3回、「ああ」という感嘆詞(へブル語・エーフ)が使われています。そしてダビデは、このヨナタンの愛を、悲しみの中でも讃えています。 「女の愛にもまさって、すばらしかった」 この「すばらしかった」(へブル語・パーラー)は、神の場合には恩寵用語「奇想天外な恵み」という意味になり、強意のピエル態では「成し遂げる、契約を果たす」という意味にもなります。 それほど、ヨナタンのダビデに対する愛は、永遠に讃えられるべき愛なのです。 新約聖書において「ああ」の感嘆詞は、主イエスも使っておられます。 「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」(マタイ福音書23:37) 最愛のヨナタンの死は、ダビデにとっては、大きな悲しみ。自らの存在を失わせるほどの悲しみです。 また戦死したサウル王も、ダビデにとっては「危険な王、愛すべき敵」でしたが、このサウル王なしには、ダビデが信仰的に磨かれることは、なかったのです。 こうした仲間、イスラエルの勇士、精兵部隊を失ったことに、ダビデは大きな嘆きを持ち、深い悲しみを抱いたのです。 「イスラエルよ、あなたの栄光は、あなたの高き所で殺された。ああ、勇士たちは、ついに倒れた。」(サムエル記下1:19) 「ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンは、あなたの高き所で殺された。」(サムエル記下1:25) 「ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた。」(サムエル記下1:27) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/02/24 07:03:18 AM
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