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イザヤ書56章より
本章56章には、宦官(異邦人)が救われ、聖なる山に導かれ、祈りの家で楽しむという、素晴らしい預言があります(イザヤ書56:7)。 この預言は、使徒行伝8:26以降に登場する、エチオピアの宦官の上に成就します。彼は宦官の故に、主の集いには参加できず(申命記23:1)、祈りの家には入れない者でした。しかし、信徒伝道者ピリポにより、イザヤ書53章が解き明かされ、宦官は主の救いに導かれます。 このように、イザヤ書56章から66章には、選民であるイスラエルだけでなく、選びから縁遠い異邦人であっても、終末的な回復にあずかることが出来るという預言が、啓示されています。 まさに、「祈りの家に招かれているという」福音の告知が、主イエスご自身によって、以下の三つの福音書において、語られています(マタイ福音書21:13、マルコ福音書11:17、ルカ福音書19:46)。 そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。(マルコ福音書11:17) 主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は — わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。(イザヤ書56:4〜7) 以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治) おはようございます。今日はイザヤ書56章「祈りの家」です。 なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。:イザヤ書56章7節 ◆要約 主はこう言われる。 「公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現れるのも近いからだ。」 幸いなことよ。安息日を守って、これを汚さず、どんな悪事からもその手を守る人は。 「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘にもまさる記念の名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。 また、主のしもべとなった異国の民が、みな安息日を守って、わたしの契約を堅く保つなら、わたしの聖なる山来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。 なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。 すでに集められた者たちに、わたしはさらに集めて加える。」 野のすべての獣よ。やってきて貪り食うがよい。 神の見張り人は目が見えず、みな何も知らない。 この犬どもは貪欲で、足ることを知らない。 彼らは牧者なのに、悟ることも知らない。だれもがみな、自分勝手な道に向かい、一人残らず、自分の利得に向かって行く。(岡崎道成) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/10/28 03:38:28 AM
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