|
カテゴリ:カテゴリ未分類
1ペテロ書2章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治) おはようございます。今日はペテロの手紙第一2章「キリストの打ち傷」です。 キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。:ペテロの手紙第一2章24節 ◆要約 あなたがたは、すべての悪意を捨て、乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。より頼んでいない人々にとっては「つまづきの石、妨げの岩」です。しかし、あなたがたは、選ばれた、聖なる国民とされた民です。それは、神のみわざを宣べ伝えるためです。 主権者や王に、主のゆえに従いなさい。愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。 しもべたちよ。主人に服従しなさい。善良な主人にだけではく、横暴な主人にも。善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストは罪を犯したことがないのに、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(岡崎道成) ◇解説として ペテロも、大伝道者パウロのメッセージを何度も聞いているうちに、パウロ流の「メシア預言による論証」ができるようになりました。それは、以下の1ペテロ書2:6にあるように、イザヤ書28:16の引用であり、ローマ書9:33、10:11によるパウロの論証と同じです。 聖書にこう書いてある、「見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない」。(1ペテロ書2:6) ペテロが語るのは、キリストを土台として、選民イスラエルの使命に再び立てるように。つまり、新ためてキリストにより接ぎ木されて、救われた異邦人と共に一つのからだとなり、神の経綸を受け継ぐべきことを示しています。 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。(1ペテロ書2:9) 私たちもまた、生ける石(礎)であるキリスト(1ペテロ書2:1〜10)を土台として、いのちの御言葉を慕い求め(1〜3)、聖なる祭司として(4〜10)、神に喜ばれる振る舞い(1ペテロ書2:11〜25)に至れるように。 それは常に、肉からくる欲を回避して(11〜12)、王(13〜17)と主人(18〜20)と、キリストご自身(21〜25)に仕えることが最善の方法です。 あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。(1ペテロ書2:21) (篠原利治) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/17 12:48:48 AM
|