1コリント書16章より
1コリント書16章よりまず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)おはようございます。今日はコリント人への手紙第一の最終章、16章「あいさつ」です。目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。一切のことを、愛をもって行いなさい。:コリント人への手紙第一16章13、14節◆要約聖徒たちのための献金については、私がそちらに行ってから集めることがないように、いつも週の初めの日に、収入に応じていくらかでも手もとに蓄えておきなさい。私がそちらに着いたら、あなたがたの承認を得た人たちに手紙を持たせてエルサレムに派遣し、あなたがたの贈り物を届けさせましょう。主がお許しになればあなたがたのところに行きたいのですが、反対者も大勢いるので、五殉節まではエペソに滞在します。テモテが行ったら、そちらで心配なく過ごせるようにし、軽んじることなく、平安のうちに送り出してください。アポロは今そちらへ行く意志はありませんが、機会があれば行くでしょう。目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。一切のことを愛をもって行いなさい。すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。パウロが自分の手であいさつを書きます。主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ。来てください。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべてとともにありますように。コリント人への手紙第一 完設問:パウロはエルサレムへの献金について何と言っているか。20字:いつも週の初めに収入に応じ蓄えておきなさい(岡崎道成)解説として1コリント書16章は、「聖徒たちへの献金」のこと。本書は、コリント教会の諸問題が話題になっています。15章では、「復活が私たちの希望、信仰の動力である」と語られました。最後の16章は、パウロの伝道旅行の裏事情(救援献金の必要)が語られています。「聖徒たちへの献金については、わたしはガラテヤの諸教会に命じておいたが、あなたがたもそのとおりにしなさい。」(1コリント書16:1)それは、エルサレム教会の救援献金のことです。パウロの第一次伝道旅行の出発の意図は、エルサレム教会の貧しいクリスチャンを、助ける為でもあったのです。全世界のクリスチャンは、パウロの勧めにより、福音の発信元であるエルサレム教会が、迫害によってピンチであることに気づきます。それ故に、異邦人教会の聖徒たちは、パウロに救援献金を託しました。しかし今の場合、聖徒たちに仕えるために、わたしはエルサレムに行こうとしている。なぜなら、マケドニヤとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。たしかに、彼らは賛成した。しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。(ローマ書15:25〜27)このエルサレム教会救援の働きは、パウロの伝道旅行の当初から存在していました。その証拠にパウロは、初代教会の指導者と共に、双方向の共通理解を持っています。かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。(ガラテヤ書2:9〜10)このエルサレム教会救援の働きは、頑ななユダヤ人の為にも意味がありました。それは、「救いは選民、ユダヤ人から」という高飛車な視座が、「双方向など不可能」と思っていた、卑しい異邦人からの「愛の献金」によって、崩されることになったからです。神さまの御業は、実に偉大なものです。なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。すなわち、この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し、そして、あなたがたに賜わったきわめて豊かな神の恵みのゆえに、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのである。(2コリント書9:12〜14)(篠原利治)