2015/07/25(土)07:20
広井勇曰く「生きているかぎり働きなさい、働けなくなったらお死になさい」と
夢を見た
故郷の夢だが、不思議なことに昔の夢ではなく
近未来のような夢であった
もちろん父母や知り合いもなく、わずかに私を知るおばちゃんがひとりいるだけであった。
町は往時のにぎわいをうしない、さびれていた。
地方の多くの市街地の現在、近未来の風光であろうか。
父母に感謝、先祖に感謝、
先人に感謝
語録に「今日福を得るは、祖先の積善に在るなり。今日禍に遇ふは、祖先の積不善に在るなり。」とある。
感謝すれば感謝すべきことが起こりやすくなる。
禍にあって「ありがとう」と言えば、禍が転じ、感謝すべきことに変ずるという。
私たちの意識が、自らに怒る出来事を感謝で受け止めることができるなら、禍をも感謝すべきことと受け止め、
そのことが運命を変えることになろう。
さらに報徳はその実践をうながす、単なる言葉の感謝ではなく、行動としての感謝を。
推譲も自譲から他譲への転換をうながす、そのことが たらいの水を押しやればまた自分に帰ってくるように
自分の子孫や後の世の世代によいこととして帰ってくる。
二宮先生語録【三四六】春野新芽を生ずる。去秋実る所の種子なり。万理此に出でざる莫し。今日福を得るは、祖先の積善に在るなり。今日禍に遇ふは、祖先の積不善に在るなり。譬へば種へざれば生ぜず、培はざれば茂らざる如くなり。仏氏之を過去の因縁と謂ふ。且夫れ謹敕篤実。或は学に志し、或は学で之を識るも、亦祖徳の余光、自己の力に非るなり。萊菔の長ずるは、培養に在るなり。葉茶の香は、寒肥在るなり。今年飢寒を支へ身命を養ふは、去歳業を勤るに在るなり。今日播て以て之を食ひ、今日織て以て之を衣る。古より以来、未だ之れ有らざるなり。然らば則ち自持を以て自力と為す者、亦過らざるなり。鹹葅塩少ければ、則ち保つ能はざるなり。萊菔肥少ければ、則ち長ずる能はざるなり。人祖徳無れば、則ち自持能はざるなり。万理皆然り。件を逐ひ之を説く。殆ど煩に耐へず。故に春野の国詩を賦し、以て之を総括す。
私たちは後の世代にいったい何を遺せるであろうか、
私たちの読書会は、後の世代に二宮尊徳の報徳記、報徳論、二宮先生語録の全ルビ版を遺せるであろう。
そのために本日も3時間ほど読書会を開き、校閲をかねて、輪読を行う。
実に会として8年ほど、私自身としては30年近いプロジェクトとなる。
〇〇先生は算命学の達人で「あなたには使命があるようです」と言われて驚いたことがある。
当時、鈴木藤三郎氏の顕彰シリーズに力をいれていて、日光市で「二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木藤三郎」の講演記録を作成して、その小冊子を差し上げたときのことである。
「私の使命とは何か?」
そこから、当時二宮尊徳とともに気になっていた札幌農学校精神、
内村鑑三、新渡戸稲造ら4人の2期生の生涯を資料をもっておいかける「ボーイズ・ビー・アンビシャス」シリーズが生まれ、多くの大学図書館で蔵書となっている。
また、今年5月、名古屋で〇〇先生で、病気のことで相談したところ
「心配ありません。あなたへの処方箋は一に感謝、二に感謝です」と言われた。
またこうも言われた。
「人間は使命があるうちは死にません」と。
ということは、日々使命としての仕事にはげみなさいということであろう。
広井勇曰く
「生きているかぎり働きなさい、働けなくなったらお死になさい」と。
死ぬときに始めて真に休めるということである。