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2012年04月21日
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カテゴリ:イマジン


ドラマ「あっこと僕たちの生きた夏」の後編があった。

大分のある高校の野球部女子マネージャー あっこ がガンで余命が少ないことを宣告される。

野球部の面々は絶対に 甲子園に連れてやると誓い、驚異的な活躍をする話だ。

どうも 実話のドラマ化のようだなと思ったら

ウィキに早速こう載っている。

あっこと僕らが生きた夏』は、有村千裕のノンフィクション。

同作品を原作としたテレビドラマ。

第89回全国高等学校野球選手権大会で県大会ノーシードから19戦無敗で甲子園ベスト8進出の快挙を見せ、「伝説の夏」とも称された大分県代表・楊志館高等学校。

その裏で、進行性の上咽頭癌に侵されながらチームを支え続けた女子マネージャーの「あっこ」こと大崎耀子の姿を、彼女の闘病ノートと著者の元読売新聞記者としての取材記録からまとめたもの。

ドラマの最後に

「死んだら・・・きっと、グランドの空にいるから。キモイって言わないで(笑い)」

という本人の筆記が出て来る。

以下の記事があった。

あっこが言う。

「病気になってたくさんのことがわかった。

空がこんなにも青いとか

仲間がこんなにもやさしいとか

家庭がどんなに恵まれていたかとか・・・」 

 



天国のあっこと卒業 遺影、級友に抱かれ
[2009年03月04日 09:36]

昨年亡くなった大崎耀子さんの遺影を囲むクラスメート=3日午後、楊志館高校

昨年亡くなった大崎耀子さんの遺影を囲むクラスメート=3日午後、楊志館高校
 大分市の楊志館高校(河野成美校長)の卒業式が三日あり、昨年十月二十九日に上咽頭(いんとう)がんのため十七歳で他界した大崎耀子(あきこ)さん=福祉科三年、同市松が丘=の遺影が友人に抱かれて“出席”し、卒業証書を受けた。
 大崎さんは生前、三年W組に在籍。野球部マネジャーを務め、「あっこ」の愛称で親しまれた。
 式は体育館で行われた。大崎さんの遺影は、W組ルーム長の山際あかねさん(18)の胸に抱かれて入場。卒業証書授与では、担任で野球部監督の宮地弘明教諭(37)が「大崎耀子」とはっきりと名前を読み上げた。
 式後、教室で宮地教諭が「わたしたちは一生、あっこのことを忘れません」と大崎さんの母親(55)に証書を手渡した。母親は「卒業証書をもらえるなんて夢のよう。あっこも喜んでいると思う」と涙ながらに話した。
 大崎さんは闘病中、クラスの仲間と一緒に卒業したいと話していたという。四十人のクラスメートから「生前の願いをかなえてあげたい」「あっこと一緒に卒業したい」という声が上がり、学校側も特別に卒業証書を用意した。

 

 

 

甲子園の約束、ごめん 「いいよ」あっこも泣いた 楊志館

2009年07月30日

<大分大会> ありがとう 白い紙に書いてあるのはその5文字だけだ。

 07年夏の第89回全国高校野球選手権大会。初出場の大分代表・楊志館(大分市)で、佐藤翔司(18)は2年生ながら二塁手レギュラーとして甲子園の土を踏んだ。  

今は大分市内の機械製造会社に勤め、会社の軟式野球部に所属する。高校時代の写真を収めたA4判のファイル。佐藤の宝物だ。最後のページに入った「ありがとう」の5文字を書いたのが、マネジャーだった大崎耀子(あきこ)。

写真

大崎耀子さんが書いた「ありがとう」の文字

08年7月5日。高校最後の夏の大分大会。楊志館の初戦は開幕戦となった。あっこは念願だった公式戦初のベンチ入りを果たした。

 甲子園経験者7人を擁する楊志館は苦戦を強いられた。7回表で3-8。その裏、先頭打者が安打で出塁した。「絶対打ってくるからな」。佐藤はあっこにそう言い残し打席に向かった。

 4球目の直球を力の限り振った。ボテボテのゴロが遊撃手の正面に転がった。次の回に4点を失い、コールドで負けた。佐藤は泣きじゃくり、ベンチに戻った。

 「ごめん、あっこ。甲子園に連れて行けなくて」

 「いいよいいよ、よく頑張ったよ」

 佐藤のユニホームのすそをつかみ、あっこも泣いた。

 容体が急変したのは3カ月後。気道を切開し声も出なくなったあっこは、画用紙に震える手で「ありがとう」と書き監督に託した。そのコピーを全部員が受け取った。

 08年10月29日、あっこは亡くなった。






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最終更新日  2012年04月21日 23時48分19秒
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