全て
| 報徳記&二宮翁夜話
| 二宮尊徳先生故地&観音巡礼
| イマジン
| ネイチャー
| マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
| 宮澤賢治の世界
| 五日市剛・今野華都子さんの世界
| 和歌・俳句&道歌選
| パワーか、フォースか
| 木谷ポルソッタ倶楽部ほか
| 尊徳先生の世界
| 鈴木藤三郎
| 井口丑二
| クロムウェル カーライル著&天路歴程
| 広井勇&八田與一
| イギリス史、ニューイングランド史
| 遠州の報徳運動
| 日本社会の病巣
| 世界人類に真正の文明の実現せんことを
| 三國隆志先生の世界
| 満州棄民・シベリア抑留
| 技師鳥居信平著述集
| 資料で読む 技師鳥居信平著述集
| 徳島県技師鳥居信平
| ドラッカー
| 結跏趺坐
| 鎌倉殿の13人
| ウクライナ
| 徳川家康
カテゴリ:イマジン
大分のある高校の野球部女子マネージャー あっこ がガンで余命が少ないことを宣告される。 野球部の面々は絶対に 甲子園に連れてやると誓い、驚異的な活躍をする話だ。 どうも 実話のドラマ化のようだなと思ったら ウィキに早速こう載っている。 『あっこと僕らが生きた夏』は、有村千裕のノンフィクション。 同作品を原作としたテレビドラマ。 第89回全国高等学校野球選手権大会で県大会ノーシードから19戦無敗で甲子園ベスト8進出の快挙を見せ、「伝説の夏」とも称された大分県代表・楊志館高等学校。 その裏で、進行性の上咽頭癌に侵されながらチームを支え続けた女子マネージャーの「あっこ」こと大崎耀子の姿を、彼女の闘病ノートと著者の元読売新聞記者としての取材記録からまとめたもの。 ドラマの最後に 「死んだら・・・きっと、グランドの空にいるから。キモイって言わないで(笑い)」 という本人の筆記が出て来る。 以下の記事があった。 あっこが言う。 「病気になってたくさんのことがわかった。 空がこんなにも青いとか 仲間がこんなにもやさしいとか 家庭がどんなに恵まれていたかとか・・・」
天国のあっこと卒業 遺影、級友に抱かれ [2009年03月04日 09:36] 昨年亡くなった大崎耀子さんの遺影を囲むクラスメート=3日午後、楊志館高校 昨年亡くなった大崎耀子さんの遺影を囲むクラスメート=3日午後、楊志館高校
甲子園の約束、ごめん 「いいよ」あっこも泣いた 楊志館2009年07月30日 <大分大会> ありがとう 白い紙に書いてあるのはその5文字だけだ。 07年夏の第89回全国高校野球選手権大会。初出場の大分代表・楊志館(大分市)で、佐藤翔司(18)は2年生ながら二塁手レギュラーとして甲子園の土を踏んだ。 今は大分市内の機械製造会社に勤め、会社の軟式野球部に所属する。高校時代の写真を収めたA4判のファイル。佐藤の宝物だ。最後のページに入った「ありがとう」の5文字を書いたのが、マネジャーだった大崎耀子(あきこ)。 大崎耀子さんが書いた「ありがとう」の文字 08年7月5日。高校最後の夏の大分大会。楊志館の初戦は開幕戦となった。あっこは念願だった公式戦初のベンチ入りを果たした。 甲子園経験者7人を擁する楊志館は苦戦を強いられた。7回表で3-8。その裏、先頭打者が安打で出塁した。「絶対打ってくるからな」。佐藤はあっこにそう言い残し打席に向かった。 4球目の直球を力の限り振った。ボテボテのゴロが遊撃手の正面に転がった。次の回に4点を失い、コールドで負けた。佐藤は泣きじゃくり、ベンチに戻った。 「ごめん、あっこ。甲子園に連れて行けなくて」 「いいよいいよ、よく頑張ったよ」 佐藤のユニホームのすそをつかみ、あっこも泣いた。 容体が急変したのは3カ月後。気道を切開し声も出なくなったあっこは、画用紙に震える手で「ありがとう」と書き監督に託した。そのコピーを全部員が受け取った。 08年10月29日、あっこは亡くなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月21日 23時48分19秒
[イマジン] カテゴリの最新記事
|