台湾製糖株式会社・特別株主総会
袋井講演会用対話編『台湾製糖株式会社・特別株主総会』日時:明治34年(1901年)1月5日 午後1時場所:三井集会所益田孝「諸君、今日は、当会社の協議会でありまして、100株以上の大株主だけにお集まり願った次第でありますが、便宜上、鈴木氏に会長となっていただいては、いかがでしょうか?」「賛成・・・・賛成・・・・。」藤三郎「日本精製糖株式会社の鈴木藤三郎です。益田君のご指名に基づきまして、今日、大株主諸君に御来会を願いました主旨を申し述べます。 当会社の発起した当時のもくろみは、最初は工場と機械だけを設置し、原料のさとうきびは、現地人から買入れて営業をする見込みでした。ところが、先ごろ、私が実地に踏査しました結果、さとうきびの耕作をするのには、種子や肥料などに大いに改良を加える必要を悟ったのです。この改良をするのには十分の施設がいります。他人の事業に、会社が干渉するだけでは効を奏することができません。それで、会社自身が、まず地主となって、現地人を小作人として、これに適当の方法を教えて、初めてこの目的を達することができましょう。私は、そうした考えの下に、工場に適当な場所を地として2か所を選定しました。一は曾文渓、一は橋仔頭です。この地は、将来事業を拡張しますのに、有望の土地ですから、今日、この付近に耕地を買入れておくことは、会社のために利益であろうと存じます。今日は、このことにつきまして、ご協議を申し上げたいのです。これにつきましては、井上伯爵閣下にも、御意見のあることを承りましたから、ただ今から閣下の御意見を、お聞かせ下さるようにお願い申し上げます。」井上「諸君、私は当会社の株主でもなく、また役員でもないが、最初、当会社の発起人諸君に向かって、この事業の有望なことを申し述べ、また、わが国の経済上に大関係を有する事業であるから、ぜひとも成功させたいと希望しています。それで、当社の成立した上は、本来の希望などについて考えていることを、本日、この席上で申し上げてみよう。 およそ人間の生活程度が進むに従って、日常消費する物も、また増加するということは免れないが、中でも砂糖のごときは、1か年の消費額が優に3,000万円前後になっている。そのうち、およそ2,000万円は外国から輸入された物である。これを、ことごとく内地で消費している。 その上に、日本人は藩政時代から上下ともに紙幣を便宜とする習慣がある。もし将来も依然として輸入超過が続くとすれば、ついに兌換紙幣は不換紙幣となって、札の購買力は無くなろう。実に心配に堪えない。このように正金が海外に流出するのを防ぐには、内地の生産事業を極力奨励し発達させて、輸入品を内地で製造するよりほかに良策はない。私は、輸入品を国内で補う第一策として、台湾で砂糖を製造し、内地の需要を満たすことを希望している。それで、この仕事に熱心で経験もある鈴木氏に、その局に当ってもらって、大いに製糖業を発達させて、金貨の流出を防ぐ一手段にしたいと、切望している。 それには従来の台湾人の習慣によった製法でなく、よりよい方法で製造しなければならない。まず新式の機械をすえ付け、甘蔗の種類も、新たに改良方法を立てて良種を植え付けなければならない。これまでやるには、まず土地を買入れる必要がある。 また、機械だけをすえ付け、本島人の耕作したさとうきびを買入れて製造すれば、将来必ずほかにも同様な組織の会社や、原料の買入れを生じ、自然に競争になる。いま力の及ぶ限り土地を買い入れて、原料であるさとうきびを良種に改良したほうがよいと忠告したわけである。 鈴木氏が実地に調査した報告を聞くと、現地人が耕作している土地は、すべてさとうきびに適した土地であるということである。鈴木氏は、『もし未開墾地を開墾すると開墾費のほかに、小作人を見つけて小作させるとしても、あるいはハワイの米国製糖業者のように、労働者を使って耕作させるとしても、それだけの費用がいる。また本国から農民を移住させるとすれば、住まわせる家屋は、不完全な物でもこしらえる必要がある。それだから、これらに1反歩あて、安く見積もっても30円以上の費用は、どうしてもいるであろう』といっている。だが、これだけ出す積りならば、既耕地が買える。 鈴木氏は、当社の機械工場を設けようとする予定地の橋仔頭、曾文渓のさとうきびを耕作している主な者達を集め、新式機械で製造するのが有益なことを、詳しく話したところ、現地人らは、大いにこれを歓迎し、両地とも、各々製造場の設置を希望しているとのことである。鈴木氏のいうのには、一反歩およそ20円から25円位ならば、手に入る、今回は、日本人が進んで台湾に巨費を投じて事業を開発してくれることを、彼らも喜んでいるとのことである。 このような次第だから、新たに土地を開墾するよりは、むしろ現在の耕作地を買い入れる方が得策であろう。第一に開墾した土地を買入れたならば、小作は現地の人で十分で、他から移民させる必要がない。私の希望を申せば、まず曾文渓と橋仔頭に、各1,500町歩以上3,000町歩くらいの既墾のさとうきび耕作地を、買入れておく必要があろうと考える。 従来台湾における事業中で、真に大資本を投じて工業を起そうとする者は、日本人中ほとんど稀である。だから、当社が率先して百万円の資本を募って、この事業を起したことは、台湾総督府はもとより現地人までが歓迎して、できるだけ成功させようとしている。この保護と便宜を有している間に、当社の耕地を3,000町歩にとどまらず、できる限り買入れておく必要がある。これも日本経済のために、この事業の発展と成功を心から希望しているからである。 工場その他の建築材料などについても、台湾で求めるのは困難で、これを内地から輸送するとして高雄の港まで積み送らなければならない。しかし、同港は波風が荒いために陸揚げができないので、無益に引返すというような場合がしばしばあり、運賃に非常な巨額を要する。私は、このことを心配していたが、鈴木氏の説によれば、曽文渓の上流に、およそ5,000町歩ばかりの官林がある。当局から、5,000町歩のうち1,000町歩でも払下げを受けて、輪伐法によって植林をして、永遠に建築材料に使用したら利益であろう。そこで、後藤長官に会ったときに、この話をしたところ、同氏のいわれるには、あの地の山林伐採は、まだ誰も試みたものがない。ちょうど、鉄道施設の設計に際し、右の木材を使用して見ようと思って取調べ中だから、その結果、木材を払下げてもよし、あるいは、このうち1,000町歩を払下げることもさしつかえなかろうとのことだった。 また聞くところによると、台湾鉄道もすでに高雄港に達したそうだから、政府の援助を得て同港の築港をすることが、もっとも緊要であろう。後藤民政長官によると、すでに設計中とのことであるが、一日も早く、この築港を成就されるよう希望する。このように話すのも、ただ国家経済のために、この事業の成功するように願うからである。これらの先見の明がないと、あとになって無益の失費を要し、その時に悔いても及ばないから、目前の小利に走って、未来の基礎を強固にするのを誤まらないように、今永遠の利益を図って確実な営利を期待されんことを希望する。」益田「数千町歩の土地を一時にまとめて買うことは、到底他の人のできないことで、競争者が出るようなことは万が一にもない。実に当会社の好都合なことは、ほとんど独占のありさまです。」井上「橋仔頭と曾文渓の両方とも、各1500甲まで今のうちに買い入れておくほうが良くはないかな。」藤三郎「このたび据え付ける機械は、一昼夜で20トン製造できますから、ちょうど一か年の耕作地は500町歩で足りますが、三か年輪作法を取りますので三倍の1500甲の土地を持てば最もよい。」井上「土地の買い入れは将来必ず競争になろう。輪作や将来を見込んでも、一か年の製糖機械が500町歩に耕作するだけのさとうきびがいるとすれば、現在の機械だけでも三年輪作として一か所1500町歩がいる。将来当社を両方の所に拡張するとしたなら、まず3000町歩くらいの土地を買い入れることを希望する。」鈴木「ただ今は、井上閣下からありがたいお話を承り、感激に堪えません。必ずこの御期待にそう覚悟です。次に後藤民政長官のお話を承りたいと存じます。」後藤「私は製糖業については無経験ですが、台湾での砂糖製造業は有利なものと確信しています。児玉総督からも、この事業についてできるだけの保護と便宜を与えよというご命令もありましたから、私は、この糖業の発達には、十分に尽力をする覚悟です。 従来、台湾においての事業としては、金山とか樟脳、製塩事業など、いろいろ着手した者もありましたが、多くは失敗し、台湾の事業は、すべて望みないかのように見捨てられてしまうというありさまでした。 私は現職に就任し、それらの事柄を調査したところ、全く反対で、望みがないどころではありません。砂糖、鉱山、製塩、樟脳など、みな有利の事業です。なぜ、このように失敗するかと申しますと、今まで台湾で事業を計画した者は多かったのですが、その企画が当を得ず、当局者に適当の人物がなかったからです。 そうしたところへ、今回、有力な株主を持ち、老練な当局者をいただいている当社のような会社が、台湾の諸事業中、もっとも有望な製糖業を企画されたということは、私の喜びに堪えないところです。この事業が、非常な勢いで発達するであろうことはもちろんですが、この成功によって、従来の汚名を、必ずそそぐことができると信じ、諸君に感謝すると同時に、心から歓迎するものです。 土地の買収は、決して困難ではありません。穏当な方法で授受させることは容易です。台湾第一の生産事業の発達に関することですから、若し万一にも困難な場合にも、十分尽力致す覚悟です。 前に申したように、従来事業を起こした者は、俗に壮士と呼ばれるような虚業家ばかりで、台湾で営利事業はとうてい成功しないとか、官省が不親切とか、いたずらに不平を鳴らし、台湾の生産事業をそしっていますが、一笑に付しています。彼らの失敗は、理の当然でが、諸君はこれと違うばかりではなく、日本人としての義務を持たれ、永遠の営利的事業の先導者ですから、官においても保護と便宜を与えようと存じます。」井上「俗にゴミ株というのがある。そうした株主の多くは投機者で、株の値があがればすぐに売り、事業が成功しようがしまいが、そんな事はおかまいなしだが、当社の株主は決してそうした株主はなかろうかと思う。」益田「総督府から保護金の件について昨年度分はご指令書も下付されておりますが、今後3、4年以後の保護金支出については、後藤長官いかがでしょうか?」後藤「当社の保護金については、予算外国庫の負担として議会に提出するつもりです。今回は単に一つの試みとして台湾事業の発達を計る目的で保護を与える覚悟ですが、このような会社が百もできるようにしたい希望です。しかし、今後成立する会社に一々保護を与えることは出来ないが、当社に対する保護金を5か年支出することは徳義上破るわけにはゆきません。万一不幸にして議会の協賛を得ることが出来なければ、地方税の内からでも支出の予定です。私はこれをここで、責任をもってこれを明言しておきます。」藤三郎「諸君、なお不明の点がございましたら質問していただきたい。土地は、曾文渓と橋仔頭の両方を買い入れておく必要があります。井上伯のご意見のように土地買い入れや山林の払い下げの件については、予め諸君のご賛成を得ましたら追って臨時総会を開くことにいたします。はい、山本君、どうぞ。」山本達夫「鈴木さん、結局、土地は何町歩あれば足りるのですか?」藤三郎「土地は二か所でおよそ3,000甲必要ですが、資本金の都合もありますから少なくとも2,000町歩ばかりを買い入れておきたいと思っております。曾文渓と橋仔頭で各1,000町歩ずつ買い入れる計画です。」山本「土地1,000町歩を買い増すとすれば、この代価は25万円で従来の目論見よりこの土地代金だけ増資を必要とします。機械代その他を75万円として当社の資金の範囲内で事業を経営できますが、もし土地を3,000町歩買い入れ機械等も二か所に配置するとすれば、増資は必要です。鈴木氏の報告によって前途の有望なことを知った上に井上伯のご意見もあることですから、第二期の資本金50万円も当年内に払い込みし、足らなければ現在の資本金100万円を200万円ともしなければなりますまい。土地も買い、また増資をすることも、まことに希望の至りであります。鈴木氏の調査が当を得ているかどうかは、我々は不明で是非をいうことが出来ないが、実際に永遠の利益のあることに出資をするのは、何人も不服に思うまいと存じます。」井上伯「鈴木氏の調査について永遠の利益があるかどうかは、確固とした証拠はないが、同氏の実見上、彼の地に産する紅蔗というさとうきびが最も有利であることを確かめたこと、土地3,000町歩を買い入れた時は、土地代金だけでも鉄道敷設後は必ず騰貴し決して損はないという、この二点は、私は間違いないと確信する。」山本「初めから100万円でこの事業を起こすという目論見は、今になって考えて見れば実に少なすぎたと言わなければならない。これを盛大にして十分確固とした営利事業とするためには、全額の払い込みをしてすぐに増資をすることが最も有利であると信じます。」益田「ここに、諸君にお断りします。当社は最初50万円の払込みで第一期の事業をいたす計画でしたが、ただ今、山本氏のご発議もありました通り、今後は、それを百万円として事業を拡張する計画に改めなければならない。なお、土地も、先には1000町歩を買入れる計画でしたが、さらに3000町歩は買入れたいという希望です。工場ができ、開業後に好結果を得たならば、また百万円の資本金を二百万円として、第二工場を起こしてもよかろうと思います。」(一同賛成)鈴木「山本君や益田君のお説の通り、かく事業の前途が有望であり、増資の必要もありますから、今日から予め増資するものと精神をきめて、現代の株金はおよそ本年中には払い込み、土地はなるべく3000甲くらいを買い入れるように重役で取り計らうようにいたしましても異議はありませんか?」(異議なし)藤三郎「それでは近日中に臨時総会を開いてこれを正式に決定することにいたしますから、今日のご言責をご承知くださるようにお願いいたします。それでは、これで相談会を終ります。」(台湾製糖株式会社・特別株主協議会議事録)大株主会協議会は午後4時30分に散会した。 当日の出席者は、井上馨 民政長官後藤新平の2来賓のほかに、陳中和(代)周端立、原六郎、武智直道、長尾三十郎、益田孝、アルウィン、熊谷良三、今村清之助、吉川長三郎、相馬順胤(代)大浦倫清、鍋島喜八郎、山本達雄、小栗富次郎(代)原田勘七郎、安部幸兵衛、志賀直温、田中銀之助、増田増蔵、磯村音介、岡本貞烋、岡村竹四郎、根津嘉一郎、三島通良と藤三郎の25名でした。